誰しも学校の国語の授業で習った覚えがある、鴨長明(かものちょうめい)の随筆集「方丈記」。
今からおよそ800年前の作品だそうです。
ところでこの出だしの「ゆく河の流れは絶えずして」以降、知っている人はどれくらいいるのでしょうか。
かく言う私も実はちゃんと読んだことはないまま大人になってしまいました。
どうもこの「方丈記」、不安定で何が起こるかわからない昨今、改めて見直されているそうです。
そこには現代のミニマリズムにも通じる生き方のヒントがあり、とても参考になります。
「超訳」とは
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳
本書の「はじめに」の前に注釈があります。
「超訳」とはー
原文および原作者の意図・考え方・表現を重視した「意訳」を基本として、「飛訳」(飛躍にも通じる独自の課題解釈)や「補訳」(解説的内容を一部補足)も加味した大胆で独創的かつ斬新なスタイルの現代語訳である。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳
古文を原文で読むのは至難のわざです。
私も名著と呼ばれる古文を無理して読んでいて、途中でいやになって放り出してしまうこともしばしば(笑)
ですから、私たち現代人は現代人なりの解釈で原文のエッセンスを味わえば良いと思います。その中でほんの少しでも何か得られればもうけもの。
本書の「超訳」はとても読みやすく、入門書として不足ありません。
個人的に本文のフォントがしっとりと印象的で、他にシリーズがあれば読んでみたくなりました。
鴨長明の「方丈記」
鴨長明(ながあきら、が正式名称)は平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人であり随筆家です。
有名な「方丈記」は建歴2(1212)年の作。全編を読んだことがなかったのですが、どうも実際は四百字詰め原稿用紙に換算すると、20枚程度の短編にすぎないそうです。
そんなに短かったのか。。
序文からなんとなく「無常観」であったり命の儚さがテーマなんだろうな、くらいは想像がつくももの、「世界初の災害文学」という側面でも高く評価されているということです。
「方丈記」の作中では、長明が23歳から31歳までの8年間に体験した5つの厄災(地震、大火、竜巻、飢饉、人的な災害として遷都)の様子が生々しく描かれています。
訳者は、長明の生きた時代と現代と通じるものがあるといいます。
なぜ『方丈記』なのかといえば、新型コロナウィルスの出現によって、昨日まで元気で笑っていた人が今日はあの世へ旅立つ”無常の時代”に直面しているだけでなく、地震、暴風、竜巻、豪雨、洪水、豪雪、山火事、土石流などの天変地異が頻繁に起きているのも、『方丈記』に描かれた時代と酷似している観があるからだ。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 はじめに より
長明は、様々な災害で人の世が簡単に揺らいでしまう様を、ジャーナリストの先駆者とも言えるするどい目線で緻密に描写しています。
さらに注目すべきは、長明が現代のミニマリズムに通じる生き方を実践していたということです。
方丈の庵に住む
長明は「兎角人の世は住みにくい」と痛感して出家し、都の洛南にある日野山の「方丈の庵」に隠遁、そこで方丈記を書きました。
方丈の「方」は平方の「方」で、方丈とは「一丈四方」の意味である。一辺が一丈(約三・0三メートル)なので、部屋の広さ(面積)は約九平方メートル。畳でいうと四畳半と五畳半の中間くらいで、一部屋しかなかったが、長明は「ほど狭しといへども、夜臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すにふそくなし」といっている。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 解説 より
彼の住まいは今でいう「狭小住宅」といったところでしょうか。
しかしなかなか狭いにもほどがあります(笑)おそらくとても粗末なつくりだったでしょうね。
いやいや。人間、本当に寝て起きてそこに居るだけれあれば、究極これくらいで良いのでしょう。
晩年の長明は「終活」ともいえる身の回りの整理をして暮らしていました。
私も、いよいよとでも表現すればよいのだろうか、ここに至って、齢六十を迎え、わが人生野露が消え入りそうに心細く感じられるようになってきた。だから、消えそうな命の露が葉っぱの先にしがみついている”末葉の宿り”のように、我が余生を過ごすのにふさわしい栖(すみか)となる庵を準備したのである。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第二章 方丈の庵に住む より
ちなみに長明は20代の頃に妻子がいたそうですが、その後独身になったとのこと。
どこそこに定住すると決めたわけではないから、敷地をきちんと定めて建てるようなことはしなかった。(中略) 住んでみて気に入らなかったら、簡単にばらして、どこか別の場所へ引っ越せるようにという考えがあって、そうしてある。(中略) この庵へ移り住むときに車に積んだ荷物は、わずか二台分だった。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第二章 方丈の庵に住む より
さすがに自分で家を組み立てることは私たちにはできませんが、「住まいを簡単に移す」、という意味では現代の賃貸暮らしに通じる身軽な生活スタイルがあります。
そういえば、引っ越しの荷物がわずかこれくらいしかなかったというくだりで、ミニマリスト「しぶ」さんのタクシーで引っ越しした、という逸話を思い出しました(笑)
音楽のある生活
さらに私が共感できたのは、長明の「音楽のある生活」。
粗末で小さな庵でつつましく生活しつつ、彼はそばにお気に入りの楽器を置いていたそうです。
西南には、竹の吊り棚を設け、そこには黒革の籠を三つ置いてある。私の終生の趣味である和歌および管弦関係の抄本や『往生要集』などの書物が、その籠の中に収めてあるのだ。そして、そのそばに、愛用の琴と琵琶、いわゆる折琴(おりごと)と継琵琶(つぎびわ)を、それぞれ一張(ひとはり)、立てかけてある。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第二章 方丈の庵に住む より
なんと愛用の琴と琵琶はコンパクトに折りたためたり分解できるもの、というのですから、かなりスペースにこだわった生活をしていたように思えます。
質素に生きながらも好きな音楽をプレイする。私も憧れる生活です。。
若い頃は毎日のように爪弾いていたが、今は時折楽しむだけなので、以前のようにうまくは弾けないが、人の耳を喜ばせようとして演奏しているわけではない。たった独りで奏で、たった独りで歌うのは、自分で自分の心を慰めるのが目的だから、どうということはない。ただ、それだけのことである。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第二章 方丈の庵に住む より
長明は琵琶を弾いていたかと思えば、だんだんノッてきたら琴に替えて、満足したらまた琵琶に替えて、と演奏していたそうです(笑)
私も自宅に楽器を置いています。
今はキーボード、電子ドラム、エレキギター1本、アコースティックギター1本。
これで自称ミニマリストかよ!というツッコミは受け付けます(笑)
ですが、大切なモノ以外可能な限り持たないようにしていると、結局残ったモノが楽器だったのです。
長明のように、楽器をあれこれプレイして楽しんでいますが、それはまさに誰のためでもない、自分の心を慰めるため、だと思っています。
いかに生きるべきか
数々の災害に見舞われストレスフルな人生を送ってきた長明。
晩年はこのような穏やかな心境だったそうです。
なにごとにも、あくせくしないこと。ただ静かに暮らせることだけを望み願う。それに尽きると思う。悩みがなければそれで十分満足であり、それなりに楽しい毎日をおくることができるではないか。それ以上、何を望み願う必要があろう。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第三章 いかに生きるべきか より
今でこそ常識ですが、「健康第一」、ということにも言及しています。
自分の心身のことは、誰よりも自分が一番よく知っているから、どうしたら苦痛に感じるかというという基本的なことも、わかりすぎるほどわかっている。だから、苦しいと思ったら休ませ、元気を回復したらまた働かせるようにすればいいのだ。
『超訳版 方丈記』鴨長明作・城島明彦訳 第三章 いかに生きるべきか より
住まいや身の回りのモノを整理し、健康に心穏やかに過ごす。
人生を豊かに生きるための普遍的な真理は、実はたったそれだけのことなのだと「方丈記」は教えてくれます。
ミニマルに生活していてたどり着く境地が、人の世が800年経っても変わらないというところが、なんとも興味深いですね。
そうだ、私も近所の絶えず流れている川でも眺めて、また自分の生活を見直してみよう。。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫