TVドラマ「グッドライフ」の元になった韓国ドラマ「カシコギ」。
毎年3月11日は、この作中の言葉を思い出します。
『あなたが虚しく過ごした「今日」という日は 昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った「明日」』
かつての震災で亡くなった方々は、まさかその日に自分が命を落とすなんて、夢にも思っていなかったはず。
「明日はあれをしよう」「将来はこんなことがしたいな」
それぞれにそんな希望をもって、普通に暮らしていたはず。
しかし、予想もしていなかったかたちで、ぷつんと途切れた多くの命。
「明日もこのまま普通に生きているだろう」という根拠のない予測が、いとも簡単にひっくり返って、たくさんの夢が、一瞬で消えてしまいました。
全国民がそんなことを痛感した出来事でした。
あれから12年。
被災された方々にとっては忘れがたく、一日たりとも記憶が呼び起されない日がない、という方もいるでしょう。
しかし、被災地から遠く離れた場所に住む人にとっては、残念ながら、当時の記憶はしだいに風化していっています。
いくらオブラートのような言葉を重ねても、これはおそらく多くの方にとって、正直なところだと思います。
「そういえば、大きな震災があったな。。」
安全な、温かい場所で、大事な人と過ごしながらそんなことを思う私たち。
私も2011年当時の、生々しいのにどこか現実味のない異世界の映像を、頭の片隅から取り出してくるのに、だいぶ時間がかかるようになってきました。
あれほど衝撃的だったはずなのに。。
ですが、この日、さきほどの言葉だけは、必ず思い出してしまいます。
『あなたが虚しく過ごした「今日」という日は 昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った「明日」』
道半ばで消えていった命たちが、12年後にやりたかったことは、なんだったんだろう?
小さな子どもたちは、どんな大人になっていたんだろう?
夢見ていた若者たちは、どんな家族を築いていたんだろう?
おじいちゃんおばあちゃんたちは、どうやって人生の幕を閉じようとしていたのだろう?
みんな、今私たちが生きている「今」に向けて、なにかしら希望を持っていたはず。
そう思うと、この偶然に生きながらえた命、もっとぞんぶんに味わい尽くしたくなります。
ただし、知った顔で「彼ら彼女らのぶんまで」とは、口が裂けても言えませんが。
それでも、一日たりとも「虚しく過ごす」ことはできないと思えてきます。
毎日全力で走り続けることはできません。
ただ、毎年この時期を迎えて、命のありがたみをじゅうぶん噛みしめて、また自分や家族・友人を大切に、生きていこうと、心新たにすることは、やはり良いことだと思います。
ありふれた明日が、明日も来る保証など、どこにもないんですから。
今日も身体が動く。家族がいる。仲間がいる。
もう、それだけでハッピーじゃないですか。
だからこそ、常に健康に気をつけ、危険なことはしない、危険なモノには近づかない。
いつでも心穏やかに過ごしたい。
明日も生きたいと願って、実際に明日も生きる。
その繰り返しで、人生が転がっていく、という仕組みです。
何があろうと「いのちだいじに」。
私は生涯、積極的にこの作戦を選択し続けていきます。
いつか来る死ぬ日まで、大事な人と大事な時間を過ごしたいから。
そんなことに思いをはせる、3月11日なのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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