3月半ばを過ぎ、目の回るような、毎日。
帰宅も深夜になり、思うように走れない日が続いています。
毎年恒例、それまで積み重ねてきた習慣がいったんリセットされる季節。
そんなことわかっているのだけど、なんとも心がざわざわして落ち着きません。
「こりゃいかん」
そんな時、思い立って、ダッシュで駆け込んだコトノハさんで、偶然手にした小説がこちら。
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
いつもの通り、ぱっとタイトルだけで選んだのですが。。自分に拍手。
まさに今の心にジャストフィット、読後ほかほかと身体が温まりました。
私にとって、吉田篤弘さんの作品は初体験でした。
一読すると、何気ない日常の描写の中、ひとつひとつ、言葉選びのセンスが、恐ろしく鋭く研ぎ澄まされていました。
普通に読めば単純に「ほっこり」という感想だったかもしれませんが、それだけでは済まないセンスに脱帽。
どうしてこんなに一言一言に、味わいを持たせられるのだろう。。
こんなにゆるそうに見せかけつつ、鋭い視点で文章をつづれるなんて。。
思った以上の時間をかけて、ゆっくりと生きた言葉を味わいました。
そうそう、この作品、朗読するとこれがまた気持ちが良いんです。
ぜひ朗読会などで聴いてみたい作品の一つになりました。
こちらの物語は映画館とサンドイッチとスープを通して進んでいくのですが、特に食べ物の描写が秀逸。
たとえば、主人公が映画館で、気になっていたサンドイッチを食べるシーン。
なるべく紙袋の音をたてないよう、手さぐりで中のものを取り出し、手にした順にそのまま食べてゆくことにした。暗いので、口にするまでは、ハムなのか、きゅうりなのか、じゃがいもなのかわからない。売店で買った缶コーヒーのフタを「ぷしり」とあけ、スクリーンから目を離さないよう、手にしたものをがぶりとやってみた。
ところが、それがハムでも、きゅうりでも、じゃがいもでもない味で、思わず手の中のものをまじまじ見ると、ちょうどスクリーンが明るいシーンになって、手もとがぼんやり浮かび上がってきた。
じゃがいものサラダ。
が、口の中には、じゃがいものサラダより数段まろやかな甘みがある。
目はいちおうスクリーンを見ていたが、意識の方はすべて舌にもっていかれ、そのまろやかさが何に似ているか、懸命に記憶を探って言い当てようとしてみた。
でも、うまく言えない。とにかく、非常においしいもの。しいて言えば――本当にしいて言えば――本物の栗を練ってつくられたモンブラン・ケーキのクリーム。
(中略)
映画に夢中になるあまり、何を食べたのか覚えていないことは何度かあったが、サンドイッチに夢中になってスクリーンが霞むなんて信じられない。
それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
このように、おいしいモノに集中しすぎてそれ以外のことが頭に入って来ない、というくだりが随所にあります。
全編からただよってくる、サンドイッチ、スープ、主人公の生活する小さな町の、におい。
とにかく、鼻とお腹に訴えかけてきます。
そうだ、とりあえず明日はサンドイッチを食べよう。
あわせておいしいスープも飲もう。
単純な私。いいんです。
ゆったりとした世界観に、心洗われ、ばっちりおなかがすいたのでした。
吉田篤弘さんの他の作品も読んでみようっと。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫