ぼんやり覚えているだけで、その部屋の細かな様子は忘れてしまいました。
ですが、その体験は私の中で鮮明に残っています。
10年ほど前、仕事の中で偶然訪ねることになった、あるマンションの一室。
その大家さんのお母様がお住まいということで、一般に貸し出しをしていないお部屋がありました。
そのお部屋の不具合のご相談で、お母様を訪ねた私。
他の部屋と間取りは同じなので、行く前に部屋の様子はだいたい予想はついていました。
今回は簡単に対応は済みそうだなと安心していました。
玄関前、チャイムを鳴らし出て来られたのは、穏やかな表情をした上品なご婦人。
みなりも清潔感があり、だいぶお年より若く見えました。
そして私が驚いたのは、お母様の奥の光景。
「モノが、ない??」
玄関先はすっきり片付いているのはもちろん、手前側のキッチン、奥の居室も、本当に必要最低限のモノしか置かれていません。
「??」
まだ引っ越ししてこられたばかりなのかな?
自宅が別にあって、仮住まい先かな?と思いきや、しっかりここで生活をされているとおっしゃいます。
冷蔵庫、洗濯機、生活するのに欠かせない家電はありつつ、大きなタンスはないし積み上げられた箱もない。
そこで印象に残っているのは、ほとんど何もない居室の中心に小さなテーブルだけがぽつんとひとつあり、ベランダから穏やかな陽がさしていたこと。
室内を見渡すと、そうやってモノがないことがご婦人にとって無理をしていない、ごく自然な状態なのだと感じました。
その時、私の中に漠然とした「いいなぁ」が湧いたのが、今も忘れられません。
もともと訪問した用事はさっと済ませ、その時はそれで終わり。
その後、もう二度とそのお母様を訪ねることはありませんでした。
私があの時、感じた「いいなぁ」はいったい、なんだったのか?
それは、はじめに訪問した私のアタマの中にあった偏見・先入観と目の前の光景のギャップからくるものでした。
その偏見・先入観とは、ずばり「ご高齢の方の一人暮らしは荷物が多い」ということ。
これは個人的な経験からいうと、ほぼあてはまると今も言えます。
長年ため込んだ私物と、食べきれないほどの食品類。
モノにあふれ、足の踏み場がない状態は、ごく当たり前にあります。
ご年配の方にはたいへん失礼な物言いで恐縮です。
ですが、あのご婦人を訪ねた時、私の中にあったこのイメージとはかけ離れたお部屋を目の当たりにし、おもわず心がときめいたのは、間違いのない感情でした。
きっと、ご婦人はご自分のことを「ミニマリスト」とは意識されていなかったでしょうし、当時まだ「ミニマリズム」や「断捨離」などみじんも知らかった私。
今ではこの偶然の出会いに感謝しています。
くだんのご婦人の部屋を出る時には、「自分も人生の終盤ではこんな部屋で暮らしたい」なんて思ったのを覚えています。
あのご婦人のすっきりと片付いたお部屋からは、穏やかさとともに、凛とした覚悟・決意のようなものを感じました。
きっと私はそれに深く感動し、「自分も」と思ったのでしょう。
それ以降、仕事柄たくさんのお部屋を見て回ることがあるのですが、あんなにミニマルなお部屋は、後にも先にもこのご婦人のお部屋1室だけ。
それほど我々ミニマリスト人口がごくわずか、ということなんですね。
私は今のミニマリスト環境が性に合っていると実感して久しいので、おそらく今後もこの生き方をベースにしていくことでしょう。
果たして数十年先、私の住まいはどうなっているのか?
あのご婦人のような、優しい雰囲気のおじいちゃんになっているのか?
穏やかな陽がさす部屋で、妻と二人でのんびり過ごしているのかなぁ。。。なんて。
そこはちゃんと二人でいるよう、パートナーに見切られないように気を付けよう(笑)
あのお部屋を訪ねたのも、きっと私のひとつの転機だったのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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