「私もこんな部屋で人生の終盤を迎えたい」
以前も同じ感覚を覚えたことがあるのですが、最近また感じることがありました。
とある昼下がり、仕事でひとりのご婦人のお宅を訪ねた時のこと。(Kさんとさせていただきます)
Kさんはとってもお上品なお方で御年90歳。はじめて出会った10年前からまったく変わらないお姿のため、久しぶりにお会いして驚きました。
会話もスムーズで、背筋まっすぐ。スタスタ歩いてる様子は、まったく年齢を感じさせません。
Kさんとお話する際はいつも玄関先だったのですが、今回はじめてリビングまで通していただく機会を得ました。
ご主人が亡くなって数十年。長年連れ添っているわんちゃんも出迎えてくれました。
玄関先がいつもきれいに片付いていて、いいなぁと思っていた私。わんちゃんに連れられ奥のリビングに入ると、瞬間、ぱぁっと目の前が輝きました。
上品なカーテンが両脇の房掛けに掛けられ、窓の外にはお庭の緑が広がっていました。照明はつけず、太陽光だけでじゅうぶん明るい部屋。
見渡すと、とにかくモノが少ないのです。テレビはなく、壁には絵画が一枚、隅にはピアノが一台、脇にはお人形が2体、そして、テーブルとソファ、のみ。それ以外は置いてありません。
なんとコンパクトに整っているんだろう。部屋のモノが少ないだけで上品さ・優雅さが映える、その不思議さに感動しました。
Kさんが「ミニマリズム」「ミニマリスト」という言葉をご存知かはお聞きしませんでしたが、まったく無理をした様子もなく、おそらくこれがご自身の自然なかたちなのでしょう。
90年の積み重ねの中で、大切なものはきっと多かったはず。それらをどんな気持ちで手放したのか、ふと思いをはせると、人生の終盤のある種の覚悟を感じました。
Kさんは必要なモノは最小限に。日中は近所のジムに行ったり、読書をしたり、ひとりで好きなことをして過ごしているそうです。
終始にこにこ笑顔のKさん。この日のお話もスムーズに終わり、またよろしくお願いしますね、とご自宅をあとにしました。
思い出すのは、穏やかなKさんの表情と、太陽の光に満ちたリビングの風景。おかげさまで私の心もリラックスできた、貴重なひとときでした。
「私もこんな部屋で人生の終盤を迎えたい」
いまの生きる指針となっている「ミニマリズム」をいつまで掲げるかはわかりませんが、やはり私の理想はKさんのような部屋で心穏やかに過ごすことだなぁ、と。
こういった人生でふと出会える、この先の生き方のきっかけとなる瞬間を忘れないようにしたいと思うのです。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫