「20XX年」という未来感
「20XX年」と聞くと、何だか近未来を感じさせる響きがありますよね。ワタクシもうすぐ43歳、1982年生まれ。子どもの頃に読んだマンガやアニメの中には、そんな未来の物語がたくさん登場しました。空を飛ぶ車、ロボットの執事、瞬間移動装置——どれもわくわくする未来のアイテムでした。
子どもの頃の私もご多分に漏れず、2000年を超えたら世の中がすっかりSF映画のような世界になると信じていました。ですが、気づけばもう2025年。私たちは確かに“未来”にいるのですが、子どもの頃に夢見た未来とは少し違っているような気がします。
もちろん、インターネットやスマートフォン、AIの普及で便利な世の中にはなりました。でも、空飛ぶ車や瞬間移動のような派手な技術革新はまだ遠い未来の話。そんな少しの違和感を覚えながらも、今この時代を生きているのだと実感します。
変わらない人間のすがた
技術や社会はどんどん進化しています。服装の流行も、メイクのトレンドも、日々新しいものが生まれては移り変わっていきます。でも、私たち人間の身体や心の本質は、昔からそれほど変わっていないように感じます。
このお正月、家族で過ごしていたときのことです。子どもたちがUNOやトランプで大笑いしながら遊んでいるのを見て、私は何とも言えない安心感を覚えました。ただ楽しいことが楽しい——その純粋な気持ちは、どんな時代でも変わらないんだなと。
未来がどれだけ進化しても、私たちの心が求めるものは案外シンプルなものなのかもしれません。家族や友人と笑い合うひととき、楽しい時間を共有する喜び——そんな日常の中に、ささやかな幸せが詰まっているのだと思います。
変わる未来、変わらない幸せを大切に
便利になった未来の世界。でも、子どもたちが夢中になるのは、やっぱりアナログな遊び。そんな姿を見ると、変わってほしくないものもあるんだと気づかされます。
私たちはきっと、きらきらとした未来に憧れつつも、変わらない世界をどこかで大切にしているのだと思います。それは矛盾しているように見えますが、そうした両面を持つのが人間という生き物なのかもしれません。
このまま、2026年も2027年も、子どもたちと一緒にUNOやトランプで笑いたい。そんなささやかな幸せを積み重ねていきたいと、改めて思いました。
未来がどれだけ進化しても、人が人らしくいられる時間を大切にする。それが、私たちが未来に望む本当の姿なのではないでしょうか。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫