【ミニマリスト】面倒くさがりの思考でどこまで生きていけるか

自分で言うのもなんですが、私、根っからの面倒くさがりなのです。

ただでさえ興味のないことはやりたくない、やらないといけなくなってもなかなか腰が重く、動けない。

期日があれば、たいていぎりぎりになってしまいます。

昔からそうで、基本的な性格は大人になった今も変わりません。

そんな面倒くさがりなりの私にこそ、モノ・コトを減らし人生を豊かにする「ミニマリズム」は合っているのかもしれません。

多少は、マシになった、のでしょうか?

目次

昼ごはんを考えるのが面倒くさい

お昼ご飯を毎日あれこれ考えるのが面倒くさい。

共働きの妻の貴重な朝の時間を奪ってお弁当を用意してもらうわけにもいかないので、自分で用意します。

毎日あれこれ外食をするにも、「どこに食べに行くか?」考えるのが面倒くさい。

一時期、同僚とお昼に出かけていたこともありましたが、毎日「どこに食べにいこう?」と話し合う時間がもったいないと感じるようになりました。

どうせ考えてもいつものあそこ、のようになるので面白くなかったのと、外食で得られる満足感がそれほどなかったこともあり、いつからかお弁当を持参するようになりました。

お弁当のメニューは、今も相変わらずです。

あわせて読みたい
【ミニマリスト的小ネタ】お昼ご飯は毎日同じ、判断しない ブログのネタに困ったらこの小ネタになります(笑) 日々の生活の中で、何か固定しておくことで判断疲れを防ぐことができます。 わたしのお昼ご飯もそんな感じです。 毎...

毎日同じものを食べていますが、まったく飽きません。

お昼を考える時間もないし、身体に合っているし、スーパーで食材を買うルートも最短で済ませられるし、たまに外食するとそのおいしさに感動できるし、私にとっては良いことづくめ。

面倒くさがりが高じて、お昼にかけるウェイトが下がった、と感じています。

服を選ぶのが面倒くさい

アパレル関係のみなさんには怒られるかもしれませんが、私はほとんど服をもっていません。

ビジネスでいうと、スーツは1着、ワイシャツは2着(半袖なし)、ズボン2本、肌着2枚、靴下3足、革靴1足、で済んでいます。たまにクリーニングに出すので特に困ったことはありません。

夏場の私服はというと、Tシャツ3枚、ジーパン1本、ハーフパンツ1本のみ。この夏はユニクロでTシャツ2枚買っただけです。

こういうと、「ファッションを楽しまないなんてつまらない」「貧乏くさい」「不潔」などなど聞こえてきそうですが、本人はいたって気楽なものです。

着ている服はちゃんと洗いますし、ヨレヨレが目立ったら買い替えて古いものを捨てます。

昔から服を自分で選ぶのが苦手で、その時その時でコーディネイトするのストレスでした。

ようやく選んだ服を着て外に出るも、「これ、変じゃないよな?おかしいかな?」なんて不安になることもありました。

今では、「人にどう見られるか?」ではなく、「自分が心地よいか?」で服を着ているので、結果、毎度外にでるたび同じ服に落ち着いています。

なんというか、私の生活の中で、服の優先順位が低い、ということなんでしょうか。

もちろん、外を歩く素敵な服を着ている方を見ると、いいなぁ!と思いますし、こちらが気分よくなります。

きっとそのお召し物で外に出るとご本人のメンタルが保たれるのだろうな、とか、やる気につながるのだろうな、とか感じます。

それはそれでいいじゃないですか。

ただ、単純に私にとっては服を毎日選ぶのが面倒くさいし、それに時間をかけたくない、というだけなのです。

判断が遅いなら、しないほうがいい

人気漫画「鬼滅の刃」で主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)の師匠、鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)の登場シーンで有名なセリフがあります。

(考えている炭治郎をぶって)判断が遅い

『鬼滅の刃』第3話

判断が遅いのは、覚悟が足りないからだ、といいます。

私もそうなのかなぁと考えることがあります。

今まで生きてきて、さんざん迷ってきました。特に小さなことでもうじうじ悩むし、答えがでないことも山ほどありました。

今は、どちらかというと生きる指針が見えてきたので、大きく迷うことはありません。

覚悟というとなんだか重たい感じがしますが、自分の中で「これはやっておきたい」ということをつなげていけば、それだけ考える時間も短くて済むのではないかと思います。

最近の朝、目覚めてからの行動はこちら。

  • 英語のニュースを観る
  • 弁当の準備をする
  • 英語の音読をする
  • ピアノの練習をする
  • ブログを書く
  • 読書をする
  • Twitterに投稿する

ここまでは自分の中では決まっていることなので、自然と行動がすすみます。

判断をするまでもなく、身体が動きます。

会社まで走って往復する「通勤ラン」においても、何も考えません。天気が悪かろうが、酷暑であろうが、走って通うことに変わりはないので、ただただ走ります。

そこに迷いはなく、辛さもありません。

なにより、あらかじめ行動が決まっているので、いちいち考えなくて良いというのが、性に合っているのだと思います。

そういうと、なんだかプログラムされたロボットみたいだなと思われるかもしれませんが、ある意味心地よい「言いなり感」というか、空港の動く歩道に乗っているような感覚。

いいんです。

その動く歩道に乗ってさえしまえば、あとは半自動でものごとがすすみます。

「判断が遅い」ことが問題なのであれば、そもそも「判断をしない」という解決方法もあります。

そして、より優先順位の高いことに判断するエネルギーを使う。

面倒くさがりの私だからこそ行きついた、ミニマリスト的な結論だと思います。

この考えのおかげで、やりたいこと・やりたくないことをすぱっと選べるようになってきたと感じます。

この面倒くさがりの人間が果たしてどこまで楽して生きていけるか、ゆるく試してみようと思っています。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次