私はいったいどんな顔に見えますか?
いつも通り、こんな感じですけど。
なんだか笑っているような、何かを企んでいるような(笑)
昨年からこんな簡単な顔文字をアイコンにさせていただております。
できれば、どんな時でも笑顔でいたい。生きることを楽しんでいたい。
見たまんま、なんのひねりもないというこの潔さを、誰かほめてください(笑)
というのは冗談で。
私、思うんです。
「どこに行っても顔はひとつで良いな」と。
いきなりなんのこと?なので、ちょっと説明すると。
私たち人間、自宅・学校・会社・サークル、さまざまなコミュニティに身を置く機会があるもの。
私は自宅ではどんな人?職場では?サークルでは?
行く先々で周りからの自分の印象が異なること、往々にしてあると思います。
つまり、身を置く場所の数だけ、そこにいる「私」の顔は変わってくるといいますか。
ある時はペコペコしたり下手に出たり、ある時は横柄な態度をとったり素気なかったり。
これは意識的にそうしている人と、そうでない人がいます。
相手のことを本能的に「コイツにはかなわないぞ」と思ったら必要以上にこびへつらい、「コイツ弱そうだな」と思ったら簡単に相手を踏み台にしちゃうとか。
まるでマンガ「キン肉マン」に出てくる悪魔超人「アシュラマン」のようにくるくると顔を回す私たち。。
時と場合によって顔を使い分けるの、けっこう疲れますよね。
だから、いつからかわかったんです。
「顔はひとつにしとけ」と。
しかもそのたったひとつの顔は、ぷくっと膨れた仏頂面(ぶっちょうづら)では全然汎用性がないので、とりあえず笑顔にしておけば良いのだ、と。
いつも笑顔であれば、たいがいなんとかなる、というのはここまで歩んだ人生で学んだこと。
自称「ものぐさ太郎」の私。
怒ったり笑ったりをいちいち切り替えると、人よりエネルギーの使い方が下手なのか、すぐに疲れてしまいます。
だから、常に一定でいたい。
偉ぶることなく、謙虚に小さくいたい。
現実もネットの世界も、自宅も職場も、心はシームレスでありたい。
どこにいても、仲間と心穏やかに過ごしたい。
そんな思いから、「顔はひとつ」に至ったのです。
ところが、こんな私でも、昔はひどかったんですよ。
かつての思春期。
中学校の頃、しばらく不登校の時期がありまして。
外界とシャットダウンしつつ、自宅では鬼の内弁慶を演じていました。
家族にはめちゃくちゃ暴言を吐いたり、怒鳴ったり、時には手を出したり。
今なら言えますが、本当に家族に申し訳ないことをしたと思っています。
引きこもっていて、ほんの少し外に出る勇気もなかったくせに、自分を見捨てないとわかっている家族に対しては、きつくあたったりして。
当時を思い出すと、「なんであんなこと言ってしまったんだろう?」のオンパレード。
ですが、私の場合その期間に自分の持てる毒をすべて吐き出してしまったから、今こんなかんじなんだと思います(笑)
変にイキったりせず、ゆったり構えていたほうが、だんぜん生きるのが楽ちん。
このひとつの顔だけで、じゅうぶん誰とでも渡り合えるとわかってきたのです。
だから、このブログの「私」もリアルの「私」とまったく同じでありたい。
もしかすると、それが数少ない私のこだわりなのかもしれません。
もしSNS上で知り合いになって、実際にリアルの私と会った時に、そこにあまりギャップがなければ嬉しいです。
あ、頭は丸坊主なので、見た目のイメージのギャップはあるかもしれませんよ!(笑)
なんて、何の話してたっけ?
時刻は午前2時30分。
こんな真夜中にブログを書くと、なんだかおかしな文になります。
まぁいいか、今日はこれくらいにしておこう!(笑)
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
にほんブログ村