アタマの回転が遅く、難しいことを深く考えるのが苦手なワタシ。
外の世界に出ると、都度何かを判断することを迫られる中で、常にアタマの中心に鎮座している言葉があります。
もしかすると、それがあるからふだんの生活で、極端に落ち込むことがないのかもしれません。
「そんなことより」
私のアタマの中にひとつ、ぽつんとある言葉、それが「そんなことより」。
と、この言葉だけ取り出すと、なんだか否定的な印象かもしれませんが、決してそういうことじゃないのです。
たとえば、ネガティブな話を聞いたり、辛い体験をしそうな時。
真正面から真面目にそれらにぶつかっていくと、ただただ疲れて、身も心もぼろぼろになりがちです。
もちろん、真剣に取り組むのも大事かもしれませんが、都度そのような調子でいくと、この現代社会、身体が何個あっても足りません。
だから私は、意識的に「そんなことより」と考えます。
たとえば、何かしんどそうなことがあれば、一息ついて、
「そんなことより、①走ろう②楽器を触ろう③本を読もう④帰って家族といちゃいちゃしよう」
などと思うようにしています。
つまり、目の前にある辛いことに集中するのではなく、その先にあるはずの自分の好きなこと・好きなもの・好きな人を思い描く、ということ。
自分の目のピントを奥のものに合わせることで、手前のしんどいことが、ちょっとボケるというか。
しんどいことから目を背ける、という意味ではなく、その方向をちゃんと見つつもその先を考えることで、目の前のしんどさを薄める、というか。
これ、文字で伝わりますか?(笑)
自分の柱を立てること
「そんなことより」マインドの前提として、自分の好きなこと・好きなもの・好きな人を、できるだけ具体的に思い描くことが大切です。
私の場合、
- ランニング・マラソン
- 楽器の演奏
- 読書
- 語学学習
- 家族と過ごす時間
どれも心満たされるもので、想像するだけでテンションが上がります。
「帰ったら家族とこんな話をしたい!」
「あのマラソン大会を走りたい!」
「あの曲を演奏したい!」
「あの本を読んでみたい!」
「あの言語を学んでみたい!」
もう、欲張りですね(笑)
とまぁ、これくらいアレコレやりたいくらいが、「そんなことより」マインドにはちょうど良いかもしれません。
自分の好きなことの柱を、自分の心の中に立てる、という感覚。
この柱は、何本あっても良いですし、多ければ多いほうが良いと思います。
「やりたい気持ち」だけであれば、いくらあってもかさばらないですし、荷物にもなりません。
目の前にめんどくさそうなことが立ちはだかっても、その先には自分の大好きなものたちが待っているとわかっているのですから、もうそれどころじゃないですよね。
さっさと片づけて、それらのもとに行きたくなります。
ここは通さんっ!
そんなことより、帰っていろいろ楽しいコトしたいんだー!
という感じで私は切り抜けています。
もちろん、これはあくまで気持ちの問題で、目の前のことをある程度片づけてから先に進むようにはしています。
これが中途半端になると、その後の楽しいことも楽しめないですからね。
「そんなことより」で、抜けていく
何か辛いこと・めんどくさいことがあっても、「そんなことより、自分にはこれがある」と思えるようになると、生活にハリが出ます。
これは私の実感ですが、数少ない断言できること。
私も人生に迷ったり、好きなことに自信がもてなかった時期は、目の前にあるしんどいこととまともにやりあって、忙殺されていたのを覚えています。
「自分、何やっているんだろう。。。」
と落ち込むことも多々あり。
ですが、具体的な言葉で、自分の好きなこと・もののことを語れるようになってからは、「そんなことより」マインドで数々の修羅場をくぐり抜けてきました。
いや、もしかすると、それが修羅場とすら気づかないまますり抜けてきたかもしれません。(笑)
目の前のめんどくさいこと、ネガティブニュース、ノイズは、「そんなことより」と思うことで、だいたいなんとか解決します。
そんないい加減な人間なので、これからもモノはミニマルに、やりたいことはマキシマムに生きていきたいと思う、今日この頃なのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
にほんブログ村