ミニマリスト・佐々木典士さんのブログ記事が気になりました。
「能力のマキシマリスト」
ミニマリスト生活を送ることで次第に感じる、「できるだけ自分で多くのことができるようになりたい」という思い。
私たちミニマリストは、所有するモノを減らして快適な生活を送らせてもらっている一方で、それらの多くは他者への依存が前提になっている、ということに気づくのです。
実際、自分が無知だ、非力だ、無力だ、痛感することは、私も多々あります。
そういう思いからできるようになったことはたくさんある。
佐々木典士HP minimalism.jp より
生来、興味関心が雑多な方だ。いつかできたらやろうと思っていた、キャンプや登山、ダイビングなどのアウトドア。京都の端っこに移住してからは、車の必要性に駆られ18年ぶりぐらいに運転を始めた。そうしたら車が大好きになって、大型バイクの免許までも取ってしまった。適当だが野菜を作ってみたり、基本的な木工もできるようになった。その時点で、もうひ弱なだけのミニマリストではなくなったかもしれない。
さらに佐々木さんは、「物より経験」を合言葉に、英語を勉強し、さまざまな場所を旅することで、ここまで後悔のない人生を送ってこられたといいます。
ところが、あるとき佐々木さんは立ち止まって考えたのです。
「何でも自分でやってみる」ことと「ひとりで全部やろうとすること」は違う。ぼくは前者を実践しようとして、後者もまた推し進めてしまってきた気がする。
能力のマキシマリストが人と繋がれないかといえば、そうではないとも思う。身につけてきた能力を使って、その能力が欠けている人を埋め、つながることもまたできるから。
(中略)
ぼくはひ弱なミニマリストだったかもしれないが、確かに欠けているものなんてなかったかもしれない。もし、欠けていたとしたって、きっと誰かが埋めてくれていたのだろうと思う。
佐々木典士HP minimalism.jp より
最後のくだりが印象的でした。
「何でも自分でやってみる」ことと「ひとりで全部やろうとすること」。
確かに、これらは似て非なるもので、後者はややネガティブな思考になっている印象があります。
ともすれば、人は自分でやってみようと意気込むと、それを全部自分でしなくてはならないと、意固地になるもの。
しかし、そこに固執する必要は、全然ないのです。
自分でできることが多ければ、それができない人を助けることができるかもしれない。
逆に、自分でできないことは、誰かが助けてくれるかもしれない。
別に助け合うことに対して、意地にならなくても良い。
人間の能力には限りがあるし、万能な人だから幸せに生きられる、とも限らない。
つまり、自分独りでできても、できなくても、世界はなんとなくうまくまとまってしまうのです。
私も時折感じる、「できるだけ自分で多くのことができるようになりたい」という気持ち。
だけど、すぐに思いいたるのは、「餅は餅屋」、「自分でできることなんか、たかが知れている」、という、ある意味で、諦めの境地。
そうやってお互いの生活が成り立っているのであれば、頼ることを相手に気兼ねに感じることもないのかもしれません。
もちろん、最大限の感謝と敬意を払って、頼ること。
そうやって、欠けているところを補いながら、つながりながら生きていくこと。
私も、そうやって自分独りでできることは決して多くはないと認めることで、「能力のマキシマリスト」への傾倒に気を付けたいと思うのです。
だから、困ったときは、あなたに頼って良いですか?(^-^人)笑
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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