過去の栄光を抱えすぎていないか?
中田敦彦さんの動画をぼーっと見ていたら…。
聞き逃せない言葉が耳に入ってきました。それは、「過去の栄光を後生大事に置いとかない」という一言。
身の回りの片付けをしようね、という話のくだりで、中田さんが特に強調したのがその言葉。
ああ、これは本当にそうだな!!!とずぶりと胸に刺さりました。
もちろん、人のこれまでの輝かしい成績や結果を飾ること自体を否定するつもりはありません。
並べたメダルやトロフィーを見て自己肯定感が上がるのなら、それも立派な意味がありますもん。
ですが、それら過去にとらわれ、今や未来への挑戦をおろそかにしてしまうのは、どうなのかな、と。
過去によりかかって、知らず知らずそうなってしまう危うさを感じるからこそ、私は「過去の栄光を抱えすぎない派」をあえて選びたい。
過去に縛られる
過去の成功体験…思い出せばほっとするし、誇らしい。それは自然なことですし、自分の努力の証として、間違いのない意味をもっている。
でも、その栄光を守ることが目的化すると、「あの頃がピークだった」と自分の限界を無意識に決めてしまう危険があったりします。
もしかすると、そこから未来への挑戦が小さくなって、成長の幅も狭まってしまうような気がする…というのは消極的でしょうか。
私自身、自宅にはかたちとして過去の記録をほとんどのこしていません。(※桜道国際ネイチャーランの完走証のまな板だけは残してますが)
むむむっ。ふと自分のSNSを見渡すと、トップに固定したベストタイムの投稿が目に入りました。
一見モチベーションになるようでいて、いつの間にか過去の自分の評価を守る枠になっていなかった?
限界はまだ先にある…と信じたい
えーい、そんなの取っ払ってしまおう!と、ポストの固定を外しました。‥すっきり。
これまでの記録はたしかに誇らしいけれど、時間が経つとそれを最前面に掲げておく必要はない、と思うようになりました。
記録は自分の引き出しにしまって、これからの挑戦に集中すればいいじゃないか、と自分に言い聞かせる。
ランニングは私にとって、過去の証明ではなく、今と未来を楽しむためのもの。だからこそ、「まだ自分の限界は先にある」と信じたい。
というより、この先の自分くらい信じてあげないと、やっていて楽しくないですもんね!
次の一歩がどんな景色に繋がるのかなぁ…。過去は参考ていどにしつつ、主役はあくまでこれから、ですからね。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃