「未来の射程距離」は思ったより短い
ちょうど発売から10年を迎えた、ミニマリスト・佐々木典士さんの名著『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』。
この本の中で、ずっと残っているフレーズがあります。それが「ジャケットを10回目に着たときの喜び」というくだり。
人間が予測できる未来の「射程距離」は、自分が思っているよりもずっと短い──。それを、まだ手に入れていない、憧れのジャケットを例に挙げています。
残念なのはそのジャケットを「初めて着るときの気持ち」は想像できても、「10回目に着るときの慣れた気持ち」も、「1年後に着るときの飽きている気持ち」も、そのジャケットを持っていない現在からはどうしても想像ができないということだ。
佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』
手に入れる前は、あんなに欲しくてたまらなかったはずなのに、実際に手に入れると、どこかで「慣れ」がやってくる、ってあるじゃないですか。
そして、知らないうちに「飽きる」。人間の感情には限界があるのに、私たちはそれを忘れて、次の「新しい何か」に刺激を求めてしまいます。
手元にあるモノは、かつて欲しくてたまらなかったもの
そこにあるモノたちは、すべて「かつての自分が欲しかったもの」のはず、と佐々木さんは指摘します。裏を返せば、「こんなの絶対いらない」と思ったモノが、自分の手元にあることはありえない、と。いや、ほんとそれね。
それなのに、「これはもう古い」「もっと良いものがあるかも」と、差分ばかりを追いかけてしまう私たち。うーん、これは、モノだけでなく、環境や人間関係にも通じる話かもしれません。
だからこそ、いま持っているものを改めて見つめ直すことに意味がある。「これを手に入れたとき、どんな気持ちだったっけ?」。
幸せは価格に比例しない
佐々木さんはこうも言っています。「人の感情には限界があって、いくら高価なものを手に入れても、価格に対して喜びが比例するわけではない」と。
たとえば、5万円の指輪が1万円の指輪の5倍うれしいとは限りませんし、1000万円の車が100万円の車の10倍、幸せをもたらすわけでもない。
私たちはどうしても、「今の感情」をベースに「未来の感情」まで予測してしまうんですよね。でも、それは往々にして、当たらない。
だからこそ、ひとの感情の仕組みを理解して、目の前にあるモノの価値を再発見していくことが、ミニマリズムの核心だと感じるのです。
ねぇねぇ。ノドから手が出るほどほしいアレ、10回目に触ったとき、どんな気持ちになるのかな…?なんなら、想像力の限界まで、想像してみませんか。
それでもほしかったら、さっさと手に入れよっ。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫