とあるご縁があって、お通夜に参列する機会がありました。
粛々と執り行われる儀式の最中、私の意識は、ふわっと身体を抜け、故人のほうに向かったのです。
そして、故人側から参列者に向き直り、ぐるりと眺めます。みなさん神妙な面持ち。しずかに故人をしのんでいます。
最近よくあることなんです。葬儀に参列すると、亡くなった方の生前に思いをはせるというより、亡くなった方に憑依するという。
ちゃんと真面目に悼みましょう、というのは正論かもしれませんが、ついそうしてしまうのです。
「あー、お世話になったあの人もわざわざ来てくれたんだ、ありがとう」みたいなことを勝手に思ったりして。別に遊んでいるわけではないですよ。
参列している方の数だけ、故人とのかかわりが多いというもの。その人がどんな人生を送ってそこに至ったのか、興味はそこにあるのです。
そんな私ですが、この命もやがては尽き果てるもの。
果たして私が最期に見る景色とは?
大勢の方に参列してもらう式は、なんだか気後れするし、わざわざ足を運んでいただくのも申し訳ない。家族がそこにいてくれたら、それでじゅうぶんです。
ひとつ思うのは、どうかささやかな式で済ませてほしいということ。
私が亡くなった後に、残された家族が私に関する余計なお金は使ってほしくない。そんなお金があるのなら、どうか家族みんなでおいしいものを食べて、元気にすごしてほしい。
だから、葬儀はもう格安プランでお願いします、と妻には伝えています。いまや探せばいろいろありますね、小さく執り行う葬儀のプランが。
きっと、私の今のミニマル思考は今後の人生においてもマキシマムな方向には向くことはないでしょう。命の灯が消えるときにもなお、小さいことに重きを置いていることでしょう。
なので、どうか私の葬儀は超超格安プランで、お願いします。このことをちゃんと妻や息子くんに伝えておこう。
私の好むウルトラマラソンというスポーツは、100%安全が担保されるようなものではありません。今後、いつどこで、何があるかわかりません。
だからこそ、そんな時に家族にさっと片付けてもらえる量に身の回りのモノはまとめ、彼らに負担のないよう羽ばたいていきたいと思うのです。
かたちはきっと家族葬になるので、これを読んでくださっているみなさんとは、葬儀ではお会いすることはないでしょう。SNSの更新がもし止まったら、その時はどうかお察しください。
「あ、たてちんの更新がしばらく止まっている。そうか、旅立ったんだね」なんてね、どうも最近葬儀に参列したら、こんなことを考えるんです。
でも、ご安心を。気持ちは前向きですからね。今年も100kmを超えるウルトラマラソンのレース、出走予定です。
気力も体力もじゅうぶんなので、ご心配なく。
これからもしぶとく、生きて、生きて、生き抜いてみますからね。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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