再掲【生き方】「いのちだいじに」3月11日 カシコギを思う

※2023年3月11日投稿の記事を加筆修正。

TVドラマ「グッドライフ」の元になった韓国ドラマ「カシコギ」。

毎年3月11日は、この作中の言葉を思い出します。

あなたが虚しく過ごした「今日」という日は 昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った「明日」

かつての震災で亡くなった方々は、まさかその日に自分が命を落とすなんて、夢にも思っていなかったはず。

「明日はあれをしよう」「将来はこんなことがしたいな」

それぞれにそんな希望をもって、普通に暮らしていたはず。

しかし、予想もしていなかったかたちで、ぷつんと途切れた多くの命。

「明日もこのまま普通に生きているだろう」という根拠のない予測が、いとも簡単にひっくり返って、たくさんの夢が、一瞬で消えてしまいました。

全国民がそんなことを痛感した出来事でした。

あれから13年。

被災された方々にとっては忘れがたく、一日たりとも記憶が呼び起されない日がない、という方もいるでしょう。

しかし、被災地から遠く離れた場所に住む人にとっては、残念ながら、当時の記憶はしだいに風化していっています。

いくらオブラートのような言葉を重ねても、これはおそらく多くの方にとって、正直なところだと思います。

「そういえば、大きな震災があったな。。」

安全な、温かい場所で、大事な人と過ごしながらそんなことを思う私たち。

私も2011年当時の、生々しいのにどこか現実味のない異世界の映像を、頭の片隅から取り出してくるのに、だいぶ時間がかかるようになってきました。

あれほど衝撃的だったはずなのに。。

ですが、この日、さきほどの言葉だけは、必ず思い出してしまいます。

あなたが虚しく過ごした「今日」という日は 昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った「明日」

道半ばで消えていった命たちが、13年後にやりたかったことは、なんだったんだろう?

小さな子どもたちは、どんな大人になっていたんだろう?

夢見ていた若者たちは、どんな家族を築いていたんだろう?

おじいちゃんおばあちゃんたちは、どうやって人生の幕を閉じようとしていたのだろう?

みんな、今私たちが生きている「今」に向けて、なにかしら希望を持っていたはず。

そう思うと、この偶然に生きながらえた命、もっとぞんぶんに味わい尽くしたくなります。

ただし、知った顔で「彼ら彼女らのぶんまで」とは、口が裂けても言えませんが。

それでも、一日たりとも「虚しく過ごす」ことはできないと思えてきます。

毎日全力で走り続けることはできません。

ただ、毎年この時期を迎えて、命のありがたみをじゅうぶん噛みしめて、また自分や家族・友人を大切に、生きていこうと、心新たにすることは、やはり良いことだと思います。

ありふれた明日が、明日も来る保証など、どこにもないんですから。

今日も身体が動く。家族がいる。仲間がいる。

もう、それだけでハッピーじゃないですか。

だからこそ、常に健康に気をつけ、危険なことはしない、危険なモノには近づかない。

いつでも心穏やかに過ごしたい。

明日も生きたいと願って、実際に明日も生きる。

その繰り返しで、人生が転がっていく、という仕組みです。

何があろうと「いのちだいじに」。

私は生涯、積極的にこの作戦を選択し続けていきます。

いつか来る死ぬ日まで、大事な人と大事な時間を過ごしたいから。

そんなことに思いをはせる、3月11日なのでした。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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