財布をなくした朝、「まぁいいか」と思えた理由
ある日の朝、外出の準備をしていた私はふと「あれ?財布どこだっけ」と探し始めました。
ここかな?あそこかな?でも、ない。家中を見渡しても見つからず、少し焦ったあとに出た結論が「まぁ、いいか」。
どうやら、外で落としたのか、どこかに置き忘れたのか、いつなくしたのか、それすらも思い出せない。ですが、なぜかそこに強い不安やショックはなかったのです。
自分でも不思議に思いつつも、自然に「あ、じゃあ1週間様子を見て、出てこなかったらまた買おう」と切り替えていました。
執着のない財布と、持ち物への価値観
なぜ、財布をなくしても平気だったのか。理由はとてもシンプルです。
私の財布には、いつも数百円の小銭しか入っていません。お札もカードも、日常で財布には入れることはめったにない。
キャッシュレス生活が進んだ今、スマホ+カードがあれば大体の支払いは事足ります。

さらに、財布自体も3,000円もしない安価なもので、ネットでいつでも同じもの、もしくは似たものが手に入る。だからこそ、「あの財布じゃなきゃダメ」という思いもなく、気持ちに余裕を持てたのだと思います。
ちなみに、使っていたのはこちらのマネークリップ。まったく不便を感じていませんでした。深みのあるグリーンが好き。
ミニマリストとして、「不安になりたくない」という気持ちが常に根底にある私。
高価なものを持たないようにするのは、自分を守るためのひとつの手段です。万が一、身ぐるみはがされても、たいして価値がない。狙われても、がっかりさせてしまうくらいの持ち物しかないのです。
なくしてもいいと思える暮らしの安心感
財布に限らず、「これがないと困る」と思うモノを減らすことで、私の暮らしはぐっと軽やかになりました。
もちろん、なくさないように気をつけることは大切。でも、失っても再び手に入れやすい、あるいは代わりが効くものであれば、心のダメージも最小限で済みます。
今回のように財布がなくなったとしても、また同じものをネットで注文すればそれで終わり。大切なのは、「ものに心を支配されない」こと。私にとってのミニマリズムとは、そういう自由と安心をくれる生き方なのです。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫