【ミニマリスト】大人になった今だから思う カラダが小さくてよかったこと

私の身長は、162.5cm。

同年代の男性の平均身長は170cm程度あるそうですが、私はそれよりはるか下回っています。

ところが、ここにきて「低身長でよかった」と感じる機会が増えてきました。

私は心も身体もミニマルで、良いのです。。

目次

コンプレックスの10代

ご多分に漏れず、多感な10代の頃は自分の低身長に対するコンプレックスはひどいものでした。

周りの友達はみるみるうちに背が高くなり、小学校の頃は私より小さかった子に、あっという間に背を越されたこともありました。それとあわせてかわいい声だったのが、図太くなって(笑)

長い思春期の期間、身長が低いからモテないとか、弱そうに見える、とか、常に卑屈になっていた覚えがあります。

昔、少年誌の最後のページに「これで身長が伸びる!」のような広告もありましたよね。なんだかうさんくさいやつ。

私もそのようなマーケティング戦略にかなり感化された時期がありました。(確か、ヨガで身長を伸ばす、みたいなものは試した気が。。)

しかし、牛乳を飲めど運動をしようとも、結局願うような身長にはたどり着かず、現在40歳、身長162.5cm、というわけです。

低身長でよかったこと

ところが、この歳になって「低身長でよかった」と思えることがたくさんあります。

身長が低くて良かったと思うことは、主にこちら。

  • 外見ではなく内面を見てくれるパートナーに出会えた
  • 仕事になんら支障がない
  • 外見で人を圧迫しない
  • 自分を大きく見せる必要がない

決して無理してるわけじゃないですよ(笑)

外見ではなく内面を見てくれるパートナーに出会えた

これが私の人生で一番よかったことだと思います。

妻と出会った31歳の頃。

偶然知り合った彼女は、私の身長のことなどひとつも気にしてくれませんでした。

それより、お互いに趣味や生き方で重なる部分があり、そちらを重視してくれた、私の内面を見てくれたということです。

お付き合いしてほどなくして結婚し、今では息子くんと家族3人で楽しく過ごせています。

そんなきっかけを与えてくれた妻には感謝しても感謝しきれません。。

最近では、家族3人でお風呂で浴槽に浸かっています。

これも私と妻と二人とも身体が小さいからできることなのかと思います(笑)

息子くんにとっては、パパママといっしょにお風呂に入ったという記憶が残るのでしょうか。

少なくとも私と妻との間では、息子くんの小さな頃の大切な思い出として、いつまでも記憶として残るでしょう。

(※結婚、子どもの有り無しは個人の価値観です)

仕事になんら支障がない

仕事をしていると、ついつい忘れてしまっていること。

「そうか、私は身長が低いんだ!」(笑)

ふだん仕事をしていても、自分の身長が低いことを忘れてしまっています。

というよりも、その点を考える必要もないというか。

ある一定の職業であればもしかすると身長は仕事に影響を及ぼすのかもしれませんが、少なくとも私のようなごく普通のサラリーマン(営業職)であれば、さほど大きな問題はないのだろうと感じています。

職場の集合写真を見て、「あぁ、自分小さいんだ!」と思い出すという(笑)

取引先の方や、お客様などと対峙しても身長のことは頭にありません。

なんなら、そういった身体のスペックなしで、ありがたいことに昇給もしています。

なるほど。仕事をするにあたっては、人の身長はそれほど関係ないのだ、とつくづく思います。

外見で人を圧迫しない

上のことに関連して、低身長であれば「外見で人を圧迫しない」ということもメリットとして挙げられます。

特に、初対面の時など場合によっては身体が小さいほうが相手に与える印象も柔らかくなる、かもしれません。

もちろん、身体が大きい方は「屈強!たくましい!かっこいい!」という印象で惹きつけられる場合もありますしね、必ずどちらが良いとかではないのですが。

少なくとも、これからの人生、初対面の時に相手を圧迫するような印象は与えないのだろうな、と勝手に安心しています(笑)

私の場合、低身長でひょろひょろしているので、「弱そう」と思われるかもしれませんが、大丈夫、いつでも100km走れる走力だけはありますからね(笑)と心の中では思っています。

自分を大きく見せる必要がない

そして、この低身長の私が社会人になって、家族をもって、一番感じるのが、「自分を大きく見せる必要がない」ということです。

ミニマリズムを基本指針として生きているせいか、派手な身なりはしていません。

それに加え、自分が低身長ということも受け入れているので、あえてそこから自分を大きく見せる必要がないと思っています。

つまり、高価な服や、家や、車を持つこと。大それた肩書を振りかざすこと。俺様的な上から目線になること。

そのすべては、私にとって不要です。

高級車がぶーんと走ってきて目の前で止まって、運転席から私のようなチンチクリンが出てきたら、ずっこけませんか?(笑)

というのは冗談ですが。

せっかく身も心も小さくまとまっているところを、他人の目を気にしてあえて大きくしたり広げたりすることもないだろうと、思っています。

そういった意味で、誰からどう見られてもかまわないというか(笑)

身の丈にあった生活を心穏やかに過ごせたらそれで良い、と思えば、わざわざ時間やお金をかけて自分を大きく見せる必要はないのだと思います。

そう考えたら、けっこうラクですよ。

ダイバーシティは広がってゆく

最近は「多様性」「ダイバーシティ」という言葉をよく耳にします。

主に性的少数派の方の生き方を論じる際によく使われますが、同じようにもともと存在していたマイノリティだった私たち「低身長」の人々。

コンプレックスに卑屈にならず前向きに生きていれば、自分しだいで自由に生きることができます。

道が拓けた今となっては、10代の頃の自分にもぜひ伝えてあげたいものです。

この先の人生、もっと自分らしく生きていけるのだと。

私は、身長が低くて本当に良かったと思いますし、生んでくれた親に感謝したいです。

今後もその気持ちは変わらないでしょう。

おしまい

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