どこにもない
あれ…?あれあれ?朝、自宅を出ようとしたところ、何かが足りないことに気づきました。
左手首を見ると、いつもそこにあるはずのスマートウォッチ「SUUNTO」が、ない。シャワーを浴びる前に外した記憶はあるけれど、洗濯場にも、寝室にも、リビングにもない。
自称ミニマリスト。自宅には物が少ないと自負しているし、探すのも一苦労というほどではないのですが、不思議。どれだけ見回しても見つからないんです。
朝のルーティンを頭の中で再生しながら、ありそうな場所を何度も確認。ですが、見つからない。そして時間切れで、まさかの「時計なし出勤」。
徒歩の通勤中も、仕事中も、ずっと頭の片隅にはあの時計のこと。気になりすぎて、ため息ばかり。思えば、自分がこれほどまでにひとつの“モノ”に執着するタイプだったとは。あらためて気づかされました。
もうひとつの相棒
それが気になりすぎて、仕事を終えて定時ダッシュ。真っ直ぐ帰宅し、再びSUUNTOを探索します。
ですが、やはり見つからない…。妻にこの“怪奇現象”を報告すると、あっさり「ほんっと、大事なものほどよくなくすよね」と一蹴されました。
たしかに、スマホもクレジットカードもなくしたことがある。なのに、どうでもいいものはなぜかちゃんと手元に残る。これもまた不思議なんですよね‥。
そんな絶望の中、ひとつひらめきました。「あ、そういえば…前に妻にあげたPolar(別のスマートウォッチ)があったはず」。
妻が使っている様子もなかったので、おそるおそる聞いてみると「いいよー」と快諾。ありがたい!

すぐに充電してみると、2年ぶりのPolarがしっかり起動してくれました。よし!

なんだか操作感が懐かしくて新鮮。使ってみると「これ、思ったよりいいかも?」と再評価。同期してみたら、過去のランニングデータもよみがえり、2年前の自分が月間300〜400km走っていたことに驚きました。

そうそう、2023年の「さくら道国際ネイチャーラン」、途中でバッテリーがなくなって最後まで計測できなかったんでしたっけ。
あの頃のワタシ、なかなか頑張ってたじゃないの‥。
スマートウォッチはただの道具ではなく、心の支え
もうね、今回の一件でわかりました。
ランナーにとって、スマートウォッチはただの道具ではなく、心の支えでもあるということ。
走る距離、ペース、心拍数…。すべてを記録し、振り返らせてくれる相棒。それが突然いなくなったら、こんなにも不安になるなんて。
でも、思わぬ形でかつての相棒と再会し、ちょっとしたタイムスリップを体験できたことも、悪くなかったなと思います。過去の自分と再会し、また今日からの一歩を踏み出す。いい機会じゃないですか。
たしかに経年でバッテリーの減りは早そうですが、もうしばらく、前の相棒のPolarと走ってみたいと思います。
‥それにしても、ワタシのSUUNTO、どこへ行ってしまったの?
いまだ行方は不明。笑っていただいてかまわないのですが、ワタシにとって、本件、真夏の怪奇現象といってもいいくらい不気味な事件でした…。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫