私の一日の中で一番の楽しみは、家族でお風呂に入る時間。
春~夏はシャワーで済ませていたお風呂ですが、すこし冷えてきた秋口から、みんなでゆっくり湯舟に浸かるようにしています。
妻と5歳の息子くんと、ささやかな幸せを感じるひとときです。
ありがたいことに(?)私も妻も身体が小さいので、まだ子どもと一緒に浴槽に入れます(笑)
お風呂には息子くんが遊ぶためのおもちゃはひとつもありません。
おもちゃはなくとも、いろいろおしゃべりしたり、お湯に何秒顔をつけられるか数えたり(笑)、手で水鉄砲をしたり、遊び方のバリエーションはあります。
私としては、3人何もせずとも、ただおしゃべりするだけで楽しいなと。
そういえば、以前の記事でお風呂の写真をあげていたことがありました。こちらをどうぞ。
それにしても、果たしていつまでこんな時間を過ごせるのか?
ふとしみじみ思いました。
もうすぐ息子くんは小学校に上がります。
あともう数年で、親といっしょにお風呂に入ることもなくなるでしょう。
そうなると、私と妻も一緒にお風呂に入ることが、なんだかおかしくなるという(笑)
そう考えたら、こうしていっしょにお風呂に入っていられる時間を、とてつもなく尊く感じます。
私にとっては何を置いてでも大切にしたい時間。
とはいえ、ふと頭をよぎるは光熱費。
我が家はオール電化なので、電気代と水道代の2つを考える必要があります。
こうして毎日お風呂を沸かして家族で入ることで、確実に電気代はかかっています。
昨今の物価高により、各ご家庭の光熱費はだいぶ上がってきていると思います。
みなさん昨年同時期と比べてびっくりするくらい上がっていませんか?
我が家でも電力会社を替えるなど策を試しましたが、それでも大きな流れには逆らえないと感じています。
光熱費、節約しても、かかるものはかかる。
であれば、もはや心の豊かさを感じるコトに全振りでお金をつかおう。そう思うのです。
ギャンブルしない、お酒を飲まない、タバコも吸わない、外食せずふだんの食事もおおむね質素、本は図書館で借りる、車も地方で最低限の1台の所有とする、などなど。
使わないとことろにはとことんお金を使わず、それらを家族のハッピーのために費やそう、と。
そう思ったら、毎日のお風呂の時間も楽しく過ごせるようになりました。
愛する家族といっしょにお風呂に入れるなんて、もう今しかできないんですからね。
できるときにやっておいたほうが良いですね。
私も影響を受けた、ビル・パーキンスの「DIE WITH ZERO」の中にもこんな記述がありました。
時間や金をかけて何かを経験するのは、その瞬間を楽しむためだけではない。経験は私たちに、尽きることのない「配当」を与えてくれる。
それが、「記憶の配当」だ。経験は、継続的な配当を生み出す。なぜなら、人間には記憶があるからだ。記憶は配当を生み出し、私たちの生活を豊かにしてくれる。経験からは、その瞬間の喜びだけではなく、後で思い出せる記憶が得られる。
元の経験を心のなかで追体験し、さまざまな感情を蘇らせることができる。元の経験に比べれば、記憶から得られる喜びはほんのわずかかもしれない。それでも、その思い出はかけがえのない宝物だ。
『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール 』 ビル・パーキンス より
何も海外旅行すること、スカイダイビングすること、どこか遠くの世界での体験・経験だけが「記憶の配当」を得る手段ではありません。
日常の生活のささやかな部分かもしれませんが、私にとっては家族でお風呂に入るという経験も、この「記憶の配当」につながるものだと思います。
こういった日常の一コマがきっと、いつまでたっても「楽しかったなぁ」と思い出せる素敵な思い出になることでしょう。
なにげない毎日では気づかないものですけどね。
さて、今晩もダッシュで帰って、みんなでお風呂に入ろう!
そのために、さっさと仕事を片付けよっと。
おしまい