こうやってネットの海に公開しつつも、ほとんど読まれることのない、このブログ。
それにも関わらず、意地になって毎日投稿を続ける私。
誰に頼まれたワケでもなく、日々の習慣となっている、「文章を書く」、という行為。
このブログのネタのストックはゼロで、毎朝パソコンの前に座っても、ネタが浮かばないことは、日常茶飯事。
うーんうーん、ひねり出そうとしても、なかなか出て来ない時はざらにあります。
朝のうんちは、何も考えずとも決まった時間に出るのに。
実は今日もそんな日なんです。
恥ずかしいネタの宝庫
それにしても、書いた記事を見返してみると、なんとも苦し紛れのネタの、多いこと多いこと。
「こんなこと、書かなくても良かったんじゃない?」と恥ずかしくなることも、あります。
いや、むしろ、そういう記事のほうが多い、かもしれません。
ですが、そんなネタたちも含めて、書いた文章たちをしばらく寝かせて熟成させると、あら不思議。
「この時はこう感じていたんだ」と、過去の自分を、別の人のように感じたり、偉いなーと感じたり、忘れていたことを思い出したり。
「恥ずかしいネタの宝庫」として、たまにブログを読み返す楽しみが、書いた本人にはあります。
書きなぐった、負の感情
この感覚は、実は紙ベースで日記を書いていた頃も感じたことでした。
中学校の頃から30代半ばまで書いていた、日記。
自称「ミニマリスト」に目覚めた時に、真っ先に捨ててしまいましたが、それまではひとつ残らず、手元に置いてありました。
それらに書いた、思いつく限りの、世間に対する恨み、辛(つら)み、妬(ねた)み。
不登校だった中学生の頃のモヤモヤ。
初めて好きな子ができたけど、何もできなかった高校生の頃のモヤモヤ。
勉強もせず、次から次へと好きな子にふられ続けて、何もできなかった大学生の頃のモヤモヤ。
仕事もうまくいかず、さらに次から次へと好きな子にふられ続けて、何もできなかった社会人初期の頃のモヤモヤ。
(どれだけふられてもアタックし続ける根性だけは、すごかった。。)
そんな終わらないモヤモヤを、日記に書きなぐってきた、青春時代。
まさに、「負」のエネルギーが詰まった、日記たちでした。
ですが、これもまた、たまに読み返すと、圧倒的な「負」のパワーを感じる貴重な資料だったように思えます。
その日記の髄所に、自作の歌詞が書かれていたことは、今や誰もしるよしがありません。。
手元に感情をため込んでおかない
今思えば、これらの日記を全部手放してからは、嘘のように身も心も軽くなったような気がします。
それ以降、書いているこのブログを振り返っても、マイナス感情だけを吐露しているような回は、あまりなかったはず。
このことから言えるのは、もし自分しか読まないような日記やブログを書き連ねている人は、いっそのこと、すべて手放してみることをおすすめしたい、ということ。
パーッと、手放しちゃいましょう、パーっと。
イメージとしては、宮崎駿監督「ルパン三世 カリオストロの城」のオープニングのワンシーン。ルパンたちが豪快に偽札を投げ捨てる場面、のように。
「次元、次の仕事は決まったぜ。前祝いにパーっとやっか!」
ルル~ルルルル~ (主題歌・炎のたからものが泣ける)
長い間、手元に「負」の感情をため込んでおくことは、思っているほど自分のためにならないのだと、感覚的に学びました。
感情の吐きだし方は人それぞれかもしれませんが、多少無理やりにでも「負」を「正」に、「マイナス」を「プラス」にして、積み重ねていくほうが、よほど建設的で未来の自分のためになるはず。
恨み、辛み、妬み。
その強烈なパワーをうまく転換して、自分が少しでも前に進む原動力にできれば、良いですね。
私の場合、このブログがひとつの発散の手段なのかもしれません。
ため込まず、思っていることを書き連ねる、だけど読む人が不快にならないように、心込めて、書く。
多少、読まれることを意識して書いたほうが、自然とプラスに向かうような気がします。
ですので、もし、私のブログ内で後ろ向きな内容が増えてきたら、ぜひ「喝」を入れてくださいね。
ん?だんだんとスピリチュアルな方向になってきました?
そろそろ気持ち悪がられるので、ここらへんでやめておきます。
というところで、たいした内容ではないけど、そんなこんなで、今日もひとつ記事が書けました。
記事タイトルと関連して、何か新しい仕事が決まったわけではないので、あしからず(笑)
紛らわしくてすみません!
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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