【生き方】大丈夫、おじさんのことなんか誰も見ていない

おじさんと呼ばれる世代が迎える現実

40代に突入した私も、周囲から「おじさん」と呼ばれることが当たり前になりました。もちろん、「お兄さん」と呼ばれたい気持ちが完全に消えたわけではありませんが、現実を受け入れる年齢になったと思っています。

そして社会の中でふと周りを見渡してみると、若い世代がどんどん力をつけてきているのが分かります。若い人たちが活躍し、おじさんが“目の上のたんこぶ”のように見られる場面も少なくありません。そんな状況で私たちは、どういう姿勢で生きていくべきなのでしょうか?いつも考えています。

そんな時、私が考える結論は至ってシンプル。「害を与えない存在」になることです。

相手に不快感を与えたくないし、若い人たちの邪魔にもなりたくない。態度や言動、さらには身だしなみやニオイに至るまで、細心の注意を払って、相手が嫌な気持ちにならないよう心掛けることが重要だと思うのです。

「害を与えない存在」としての生き方

若い世代に何かを教えたり、影響を与えたりすることは、もう私たちの役割ではないのかもしれません。

もちろん、仕事の中で後輩や部下にアドバイスを求められることはあります。ですが、こちらから積極的に「これが正しい」「こうすべきだ」と教え込むような姿勢は、時代にそぐわなくなっています。むしろ、若い人たちの考え方を尊重し、彼らが自由に成長できる環境を見守ることが大切です。

そのためにまず意識したいのは、物理的にも精神的にも「距離感」を大切にすること。無理に親しくなろうとしたり、若い人たちのノリに合わせようとするのではなく、自然体で接することが良いのではないでしょうか。

特に、清潔感を保つことや、礼儀正しく振る舞うことは、最低限のマナーとして心掛けたいところです。

誰も見ていないからこそ、慎ましく生きる

「大丈夫、おじさんのことなんか誰も見ていない。」私が常々アタマに置いてあるこの言葉は、一見寂しく聞こえるかもしれません。

ですが、裏を返せば、それだけ自由に生きていいということでもあります。若い人たちの邪魔をせず、彼らの成長を見守る。自分の考えを押し付けるのではなく、必要なときにサポートする立場でいる。この姿勢は、先人たちから学んだ、私たちおじさん世代が持つべき確固たる生きる戦略だと思っています。

私たちが目指すべきは、「若い芽を摘まない」こと。そして、危害を加えないように注意しながら、慎ましく生きていくことではないでしょうか。何もしない、ただ黙って見守るだけではなく、若い人たちの活躍を応援し、彼らのための“土壌”を整える役割を担う。。

一見すると消極的とも思われがちなこの行動指針。ですが気持ちは前向きに。私たちおじさんは、無理に目立つ必要はありません。誰も見ていないからこそ、自分らしく、そして穏やかに生きていけばいいのではないでしょうか。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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