4月15日
新年度・新学期が始まり、葉桜になるころ、私は毎年ある友人のことを思い出します。
Kくん。2002年4月15日、まだ19歳だった彼は、交通事故でこの世を去りました。
私は浪人を経験したので、同じ学年でも現役生の彼は1歳年下。年下の友人が亡くなる経験は初めてだったからか、今でも信じられない気持ちが、胸のどこかに残っています。
彼が乗っていた車は、当時できたばかりの「危険運転致死傷罪」が適用されるほど、無謀なスピードで走っていました。
助手席にいたKくん。運転していたのも、私たちの仲間でした。スピードを競い、曲がり切れなかったカーブ。激突した街路樹とガードレール。そして見るも無残に潰れた車。
あの日のニュース映像は、今でも脳裏に焼きついて離れません。
事故現場は、今でも私の生活圏の中にあります。何気なく車を走らせていても、ふとその道を通る瞬間、胸がきゅっと締めつけられます。
「あの時、Kくんはどんな気持ちだったんだろう」「怖かっただろうな」「最期まで、生きたいと思っていたんじゃないか」そんな思いが、春の風と一緒に吹き抜けていきます。
GLAYとKくんのギター
Kくんとは、大学の音楽サークルで出会いました。私は当時、ギターはまだ触ったばかりで、音楽にもあまり詳しくありませんでした。
そんな私に、GLAYの音楽を語ってくれたのがKくんです。「これ、まじで名曲だから聴いてみてよ」と渡されたCD。照れくさそうに笑いながら「このイントロ、やばいっしょ?」と語る彼の表情を、今でもはっきり思い出せます。
彼の弾くギターは、きらきらしていました。上手いとか下手とかじゃなくて、彼の音には、まっすぐな想いが乗っていた。
たった19年の命の中に、確かに刻まれていた「Kくんの音」。ここまでたくさんの音を聴いてきましたが、彼の音は不思議とずっと残っているのです。
あれ以来、GLAYを聴くたび、彼のことを思い出します。「ねぇねぇ、GLAYはまだ現役で音楽やってるよ、こんどベスト盤も出るんだよ!」なんて話したりしたいね。
自分の運転が、誰かの人生を変えてしまうかもしれない
事故から20年以上が経ちました。
Kくんが生きていれば、今ごろ何をしていただろう? 家庭を持っていたかもしれない。ギターを弾き続けていたかもしれない。音楽に関わる仕事をしていたかもしれない。
ですが、時間は戻りません。戻らないからこそ、私は彼の分まで、精一杯生きるということと、命というものの重さを、これからも忘れずにいたいのです。別にKくんに頼まれたわけでもないのに、2001年から、私は勝手にずっとそう思っています。
そして車を運転するとき、私はKくんのことを思い出します。「自分の運転が、誰かの人生を変えてしまうかもしれない」という想像力。それを持つことで、守れる命があるということ。
車のハンドルを握ったら、何を置いてでも、安全運転。
生涯、ぜったいに忘れません。