「昨日、あれからどこ行った?」
「あいつとあいつがあれから暴れてね」
「頭痛い…飲み過ぎた…気持ちわる…」
デジャヴのように繰り返す、飲み会の席の翌朝にある光景。
あれ、おかしいな。人は変われど、そのセリフ、10年前も同じことを聞いたし、20年前も同じことを聞いたような…。
数年前からお酒を一滴も飲まなくなった私は、飲み会の席において「付き合いの悪い、面白くないやつ」を自ら選ぶようになりました。
当の本人は、ここにいたるまで、別にその生き方で後悔したこともなければ損したこともない、と思っています。
私としては、むしろアルコールを摂らないことの恩恵がありすぎて怖いくらい、今後はそれを啓蒙しようかなと思っているほどで、まったく後ろめたさはありません。
ただ、この世界にアルコールがあること、お酒があることは文化であり、ある人にとっては生きる糧にもなり、それこそ生きがいにもなる。それも理解しています。
だからこそ強く思うのは、酔いたい人は酔えば良い 酔いたくない人は酔わないで良い、ということ。
酩酊した世界線を楽しみたい人、しらふの世界線を楽しみたい人、もうそれぞれで良いじゃないですか。単純に、お互いに干渉しないほうがお互いのためなのです。
ありがたいことに、近年飲み会の席でアルコールを飲むことを強いられること自体、昔と比べればなくなってきたと感じます。これはおそらく世の中がそういう流れになってきていることと、年齢を重ねたということもあるでしょう。
「趣味・嗜好も多様化している時代」なんて、そういった建前があるのは我々「飲まないことを選択している」人間からすると、たいへんありがたいこと。感謝、感謝なのです。
これはお酒を飲む人・飲まない人、どちらが良い・偉いという話ではありません。主体的に「飲む」「飲まない」を選択したら、あとはどちらかの世界線をそれぞれに楽しめば良い、だけ。
ただし、どちらにしろ、「なんとなく」「流れに身を任せて」はきっと何かしら後悔につながるかもしれませんので、じゅうぶん気を付けたいものです。
というわけで、私は引き続き自ら「飲まない」を選ばせていただきます。
リアルのお知り合いの皆様、改めてどうぞご承知おきください。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫