紛争地に生きる人と話して、思わず胸が熱くなった
仕事柄、海外の方とコミュニケーションを取る機会がよくあります。つい先日も、紛争が長年続く地域にルーツを持つ方とやりとりをしました。
連日ニュースで耳にする、ミサイルが打ち込まれた、反撃があったという報道。それを見聞きしていた私は、思わず尋ねました。「ご家族やご友人は無事でしょうか?」。
幸い「今は安全な場所にいます」と、彼女は静かに答えてくれました。でも、その言葉の裏にあるのは、いつ危険が迫ってくるかわからない、そんな緊張感の中での暮らし。
彼女やその家族が、今日も無事であることをただ願うしかできない私にとって、その現実はあまりにも遠く、同時にあまりにも重かったのです。
自分の当たり前の日常は、誰かにとっての奇跡かもしれない
布団にくるまって眠り、朝になれば自然に目が覚める。パンを焼いて、コーヒーをいれて、外を自由に歩ける――そんな何気ない日常を過ごしている私。
でも、それは決して「当たり前」なんかじゃない。戦火を逃れて必死に生きる人々を思うと、いまこの瞬間がどれだけ恵まれているか、胸が熱くなるほど感じます。
生まれた国、生まれた地域。それは、自分で選べるものではありません。「人生ガチャ」とも言われるように、スタート地点からハードモードの人もいる。
一方で私は、平和な国に生まれ、教育を受け、家族と過ごし、安定した生活をしている。文句を言うどころか、感謝してもしきれないような「超イージーモード」な人生です。
与えられた一日を大切に過ごしたい
もちろん、物価は上がっているし、将来への不安もある。それでも、今日もこうして無事に目を覚まし、ご飯を食べ、日常を過ごせていること――。
それ自体が奇跡なのだと思えば、あれこれ求めて不満を抱くことすら、なんだか贅沢すぎるように感じてしまいます。
これはセンシティブすぎる?スピリチュアルすぎる?そうかもしれません。でも私は今朝、目が覚めたとき、心から思ったのです。「今日も生きていられることに、ありがとう」。
海の外の誰かが、今日も無事でありますように。そんな祈りを胸に、また大切にじぶんの一日を始めようと思いました。
おしまい。