さかのぼること、17年前の2007年5月。当時、関西で一人暮らしをしていました。
人見知りがはげしく、職場の環境にもなじめず、仕事自体も今思えばそれほど好きな分野でもなかったっけ。狭い部屋、ひとりで心病んでいました。
思い出したくない過去なので、当時の写真はほとんど残っていませんでしたが、部屋の様子がわかるものがありました。同僚が撮ってくれた一枚。ちょうどゴールデンウィークが終わって、帰省から戻ったところでした。
よくある、「ミニマリストがかつてはマキシマリストだった」、みたいなものでもなく、モノの量としては中途半端。それほど多くないわりに、すっきりしない部屋。
なぜそれがそこにあるの?なぜそれを大事にとってあるの?当時の私に聞いてみたい。きっと答えは、「なんとなく」でしかありません。
もし今のマインドのまま、この部屋に戻れるとしたら、手放すモノだらけ。いや、おそらく残すモノはほとんどないはず。見れば、あれもこれもそれも、全部手放したい。
あの時、そんなことができていたら、生き方は変わっていたのかな?ふと思います。
馴染めない街で一人寂しくて、心の隙間を埋めるようにモノを増やして片付けることもなく、生きていた私。ほどなくして、心が崩壊して辞職。同年、地元に帰ってきたのでした。
結局、この部屋にあったモノは全部地元に持って帰り、また別のアパートに鎮座することになりました。これらを手放すことができたのは、まだだいぶ先のことでした。
自分が本当に必要とするモノだけを選ぶミニマリスト気質になった今の私からすると「いらない」と思えるモノでも、当時の私にとっては寂しさの緩衝材として「いる」モノだったのでしょう。だとすれば、無駄なモノはなかったのかな?
きっと、こんな時があったからこそ、今がある。迷いに満ちたきみがいたから今の私がいる。ありがとうと言いたいな。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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