走る奴なんて馬鹿だと思ってた。
本気でそう思っていた。もちろん、完全な偏見だ。競技ならともかく、素人がただ長距離を走って何が楽しいのだろう。マラソンに人生を重ねるような物言いも「けっ」と思っていたし、ランウェアも顔つきも、なんだかランナーの「本気感」もうっとうしい。
「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」松久淳
冒頭から、歯に衣着せぬ、著者のアンチランナーっぷりが、全開。
松久淳さん著、「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」です。
そうそう、まったく走らない人からすると、私たちランナーはこう思われているんですよね。
きっと、人によっては、見ていて「イタイ」人種なのかもしれません。
しかし、走ることが日常の一部となってしまった身としては、そんな「あちら側」の気持ちには、なかなか戻れないもの。
本書は、そんなアンチランナー・アンチランニングのおじさんが、あるきっかけから、あれよあれよとランニング・マラソンにのめりこんで、「こちら側」にやってくる、痛快なエッセイです。
それまで不健康な生活を送っていた40代の著者。
はじめは当然、思ったように走れないのですが、しだいにあるモノにはまっていきます。
ランアプリの結果のGPS地図を、拡大したり縮小したりして、ニヤニヤとチューハイが止まらない。
「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」松久淳
文明の利器。スマホのランアプリ。
どのサービスも基本無料で使えますし、自分の走った距離やペースが一目でわかるので、これを走ることのモチベーションとしているランナーさんも多いのではないでしょうか。
私もチューハイは呑みませんが、とくに長い距離を走った後は、独りGPS地図を見ては悦に浸ることも、あります。
この機能を利用した、「GPSアート」なんてものも流行ってますよね。
そんな著者。ランナーズハイ(新しいチューハイのようなイントネーションだそうです)を楽しみに日々走り続けていると、どんどん走る距離が伸びていきます。
そして時には故障も経験する中で、それでも続けようとする、ランニングの中毒要素にも言及するのです。
「もっとも恐ろしい特徴は、何度もくりかえしたくなる『依存症』という性質を持っていることです。くりかえす人は、『快感を得るため』ではなく、いつまでもなおらない疲労感やイライラ、不安からのがれるため、つまり『不安感をなくすため』に頼らざるを得なくなります。そうして、なしではいられなくなるのです」
以上、「ダメ。ゼッタイ。」のホームページから引用でした。しかし読めば読むほど、「薬物」という単語を「ランニング」に置き換えてもそのまま話が通じると思うのは私だけだろうか。
「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」松久淳
この部分は、さすがに「はっ」とさせられました。
ランニングが心地よい・気持ち良いことを覚えたら、知らず知らずのうちに依存症になってしまう可能性もあるということ。
走ることに慣れている私たちこそ、よくよく心得ておくべきことなのかもしれません。
そんなランニング初心者の著者が、いよいよフルマラソンの大会を目指すことになります。
果たして、無事に完走できるのか?タイムは?
さらに、私の地元・石川県金沢市で開催される「金沢マラソン」にも挑戦するくだりがありました。
まったく土地勘のない方が、どんな思いで金沢マラソンを走ったのか?たいへん興味深いレポートでした。
それまで走ることに否定的だった人が、「こちら側」の世界に足を踏み入れる瞬間を、シニカルな目線で描く本書は、テンポもよく、とっても痛快。
ランニングにまったく興味のない方、ランニング中毒の方、双方にとって「そうそう!」と共感できるところが満載の一冊なのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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