つい出てしまう余計な一言
リアルでもSNSでも、人の幸せな出来事や素敵な体験を見聞きする機会って、あったりするじゃないですか。
朝起きてカーテンを開けたら、きれいな青空が広がっていた
公園を散歩していたら、かわいい犬に出会えた
お風呂上がりに冷たい飲み物を飲んだら最高だった
ずっと探していた本や雑誌を古本屋で偶然見つけた
ポケットから小銭や忘れていたお金が出てきた
大好きなラーメンを食べたら思った以上においしかった
旅行先で見た夕焼けが忘れられないほど美しかった
地元の市場で珍しい果物を買えた
ホテルの部屋からの眺めが最高だった
ふらっと入ったお店の料理が大当たりだった
友人から久しぶりに連絡が来た
子どもが「ありがとう」と言ってくれた
上司や同僚から「助かったよ」と感謝された
SNSで自分の投稿に「いいね」がたくさんついた
誰かの誕生日を祝ったときの笑顔を見た
宝くじで少額でも当たった
ライブで好きな曲を生で聴けた
ランニングの自己ベストを更新した
新しい靴や洋服を身につけたらわくわくわした
花火大会で夜空にあがった花火に心奪われた などなど。
そこで、実は「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と感じるはずなのに、ついつい「でも、それって…ああで‥こうで‥」と余計な一言を投げかけてしまう。
頭で思ったことがそのまま口からこぼれ落ち、相手のほくほくした気持ちに水を差してしまう。でもそれってめちゃくちゃもったいない。
こういうことになると、相手も自分も、せっかくのポジティブなエネルギーを受け取れる瞬間を逃してしまうような気がするのです。
「羨ましい」は成長のタネ
実は「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と感じる心こそ、自分の成長につながる大切なサインなのではないでしょうか。
人を羨む気持ちはネガティブではなく、むしろ自分の興味や可能性に気づかせてくれるチャンスととらえると、何かが変わる。
誰かの姿に感動したなら、その気持ちを正直に受け止めて、自分も試してみればいい。人の粗探しをするよりも、その興味に素直に従った方が、ずっと人生が豊かになるはずではないでしょうか。
朝起きてカーテンを開けてみよう
公園を散歩してみよう
お風呂上がりに冷たい飲み物を飲んでみよう
欲しい本や雑誌を古本屋に探しにいこう
ポケットの中身をチェックしてみよう
おいしいラーメンを食べに行こう
旅行に行こう
地元の市場に行ってみよう
ホテルに泊まってみよう
ふらっとお店に入って料理を頼んでみよう
友人に久しぶりに連絡してみよう
子どもに「ありがとう」と言ってみよう
上司や同僚に「助かりました」と感謝しよう
SNSで人の投稿に「いいね」をしよう
誰かの誕生日を祝おう
宝くじを買ってみよう
ライブに行こう
ランニングで自己ベストを更新しよう
新しい靴や洋服を身につけてみよう
来年は花火大会に行こう などなど。
私自身も、自称ミニマリストになれたのは「しぶさんやこんまりさんのライフスタイルがいいなぁ」と思ったから。超長距離マラソンを始めたのも、尊敬するランナーさんの姿に「羨ましいなぁ」と感動したのがきっかけだったことを覚えています。
過去の「いいなぁ」が今を作る
振り返ってみると、今の私の生き方はすべて過去の「いいなぁ」でできています。誰かの行動や挑戦を羨ましく思ったことが、そのまま自分の選択や行動につながってきたのです。
だから、人のあれこれを批判するよりも、素直に「羨ましい!」と認めて一歩踏み出す方が、ずっと楽しい人生を送れると感じています。
羨望は妬みではなく、自分を動かす力に変えられる。そう気づいたとき、人の輝きは自分の未来を照らすタネになるのだと思うのです。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫