いつもいい加減で適当に生きている私。
あまりにもズボラすぎて、自分でも呆れてしまうことが多々あります。
もう、自称「ズボラの極み」。(るろうに剣心の「二重の極み」の調子で)
改めて、「ズボラ」という字面をよくよく見ると、濁点がふたつ、ら行がひとつ。
なんだか「ゴジラ」のきょうだい怪獣のようです。
「ズボラ」。
それくらい、世の中では疎まれる存在とされているのかもしれません。
「ズボラ」な私は、イコール「面倒くさがり」とも言えます。
胸を張って言えることではないかもしれませんが、なんともマイナスのレッテルを自分で貼って歩いているのです。
そんな私なので、生きていると「あぁコレ苦手だな」と感じることがよくあります。
その極みが、「できない理由」探しです。
脳の大運動会
何かひとつ問題にぶち当たると、急に頭の中で運動会が始まります。
「パーン!」と号砲が鳴って、ジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」をBGMに、「借り物競争」がスタート。
運動会でよくある種目の、アレです。
「〇〇そうな人」とか「××っぽいモノ」とか、お題の答えを探して外野を駆け回る、あの競技。
けっこう盛り上がりますよね。
観客として見ていると面白いのですが、私はこれがなかなか苦手。
何か問題にぶち当たると、脳がこんなお題を下します。
これ難しいんじゃない?さぁ、「できない理由」を探してこーい!!
あれはどうかな?これはどうかな?あれはちがう?これはちがう?できない理由、どこー??
もー、頭の中がこんがらがって、ぶつっとショートしてしまいます。
パタンと倒れる私。ちーん。
要は、頭で「できること」「できないこと」、アレコレ考えるのが極端に苦手なのです。
これは訓練を重ねることで、なんとか大人としてお給料をもらって仕事をさせていただける程度には改善されましたが、生来、本当に苦手。
だからこそ、考えなくて良いことは、できるだけ頭の中に出てこないようにするしかないのです。
すると、いつしか自然と余計な思考を省くようになりました。
そこが、ズボラ!(笑)
探し回るのが疲れるから
何か問題にぶちあたった時。
私も真面目に「できない理由」を探していたことがありましたが、ただただ疲れるので、いつからかやめました。
- 忙しいからできない
- 若くないからできない
- 結婚しているから、子どもがいるからできない
- 今日は天気が悪いからできない
- 気分がのらないからできない
- 頭が悪いからできない
「できない理由」はそれこそ無限のバリエーションがあって、時間さえあれば、どこまでもかき集められます。
そして、たくさん集まった負の理由を前にすると、「どや!えっへん」という気持ちより、行き場をなくしたそれらの理由を思うと、なんとなく空しくなります。
ちーん。です。
であれば、そんな気持ちを抱えるより、もういっそのこと、そいつらをぽいっと投げ捨てて(笑)、さっさと「どうしたらできるか」を考えて先に進みたい、と私は思うのです。
要は、ズボラだから「できない理由」を探し回るのがめんどくさい、ということ。
ジャパネットたかたさん
そういえば、かの有名な「ジャパネットたかた」創業者の髙田明氏も自署の中で述べていました。
「今をできることに一生懸命取り組む」「できない理由を考えるのではなく、どうしたらできるか考える」
徹頭徹尾、その二点が協調されています。
美しいまでにシンプルな思考は、私のズボラとはニュアンスは違うかもしれませんが、なんとなく方向は間違っていないのかなと思いました。
ちなみに、『伝えることから始めよう』。こちらの本、めちゃくちゃ面白くておすすめです。
みなさんご存知、あの髙田氏のお人柄と語り口調とそのまんまで、あっという間に話に引き込まれてしまいます。
さすが、ジャパネットさん!
って、話がそれました。
それでもここまで来たじゃないの
パッと見、「無理」「できない」と思っていても、実はどこかに抜け道があること、もしかすると時間や人が解決してくれること。
それを私たちは経験で知っています。
ありがたいことに、大きな壁にぶち当たっても、なんとかここまで来られたじゃないですか。
その時その時は、しんどいことはあったかもしれませんが、なんだか細かいことまで覚えていません。
だから、ここまで生きてこれたという、重ねて適当なやつ(笑)
だから、これからも「できない理由」を探して回るって疲弊するより、さっさと「なんとかなる!」の方向に舵をきって突っ走っていきたいと思うのです。
そのほうが、ラクじゃないですか?(^○^)
「ズボラ」というか、もういい加減すぎてすみません(笑)
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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