ある日、できなくなっていたことに気づく
ここ数年、子どもが生まれてからというもの、「悪いこと」ができなくなりました。といっても、もちろん犯罪のような大げさな話ではありません。
たとえば、信号のない横断歩道をサッと渡ってしまったり、ちょっとした嘘をついたり、挨拶をしなかったり。
そんな日常の中に潜む小さな「ルール違反」のようなこと。
昔は特に気にせずやっていたような些細なことが、今ではぜんぜんできなくなっていることにきづきました。
「子どもが見ていたらどう思うか?」という視点
なぜそうなったのか。
それはいつの間にか、何か行動を起こすたびに「これを息子が見ていたらどう思うだろう?」と考えるようになったからです。
たとえば、私が横断歩道のない場所を渡ったとして、それを息子が見ていたらどうでしょう?
きっと「パパがやってるからいいんだ」と思うかもしれない。
そんな息子が同じことをしていたら、私はきっと「危ないよ」「ちゃんと信号を渡ろう」と注意するでしょう。
でも、そんな注意をする資格が、自分にあるだろうか?
「自分はやっておいて、子どもにはダメだと言う」——これはすごく不誠実な気がしてしまうのです。
そうやって自分の行動を振り返るうちに、どんどん小さな「やっちゃいけないこと」ができなくなってきました。
子どもが私を「まっとうな人間」にしてくれた
子どもがいると、悪いことができなくなる——
これは、親という立場になって初めて実感した、思わぬ“副作用”でした。
ひとつひとつは本当に小さなこと。
人によっては「そんなの気にしなくてもいいじゃん」と思うかもしれません。
でも、子どもの存在があるからこそ、「ちゃんとしよう」と思える。
だからこそ私は、今、以前より少しだけ“まっとうな人間”に近づけた気がしています。
「良い親になりたい」なんて立派なことは言えませんが、少なくとも、「自分の背中を見せる責任」は感じています。
それは時に面倒だったり、反省ばかりの連続だったりもします。
でも、そうやって自分を見つめ直す機会を与えてくれた息子には、本当に感謝しています。
ありがとう、息子くん。
きみのおかげでパパは少しずつ、まともな人間になれてきた気がします。
何度でも言いたい、ありがとう。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫