ずっと放置している下書きに、このようにタイトルだけつけたものがありました。
もちろん元ネタはあの有名な「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の、ディオ・ブランドーのセリフ。吸血鬼として人間を食らい、恐ろしいまでの力を手にしたディオが、人間をただの食料としか思っていない様を表す一言でした。
あれ、どうしてこのセリフを記事タイトルにしようと思ったんでしたっけ‥?
そう、まったく覚えていないのです。
いや、きっと自分の物覚えの悪さ・記憶力のなさを取り上げようと思っていた、のだと思います。うん、おそらく。今の私ならそう思う。そのつもりで下書きを仕上げよう。
そういえば、1番最後に食べたパンは何だっけ?何枚で、どんな味だったっけ?ほら、思い出せない。
幸い、毎日朝ごはんと昼ごはんは固定しているので思い出せるとして、昨晩の夕飯は?その前の日は?
記憶をたどろうとすると、うーんうーんとうなって、一時停止してしまいます。
わかっているんです。自分の物覚えの悪さと記憶力のなさ。
それを自覚しているからこそ、アナログに記録していくことを習慣としてきた、ここまでの人生でした。
今はこのようにブログで日々思ったこと感じたことをつらつらと書いていますが、振り返れば14歳の頃から日記を書いてきました。
1年ほど不登校だった中学生時代。とあるきっかけから学校に行くようになり、部活に入り直し、友人との交流が増えていった時のこと。
思春期まっただ中、満たされない思い、恨み辛みを吐き出したい。手っ取り早かったのが、ノートにペンで書きなぐることでした。
日々思ったことに加え、たしかちょっとした小説のようなものも書いていた覚えはあります。背伸びして難しい語彙を使ったりしていたのも覚えています。
そうして高校生・浪人生・大学生と、ノートのフォーマットは変われどずっと書くことを続けてきました。初期の頃は好きな時に好きなように書いていたのが、しだいに「毎日書く」ことを自分の中で決めて、それを実行してきました。
中学生~30代半ばまで書いたノートは、引っ越しのたびに処分してきたため、今はありません。思い入れのあるものだったはずが、手放す時はわりとためらいなく、ぽいと捨てられました。
現在記録として手元に残っているのは、子どもが生まれてからの3年間をつづった3年日記が一冊。そして、こちらのブログ記事(約1000本)。
ありがたいことに、その期間で「あの時、どんなことをしていたっけ?どんなことを考えていたっけ?」と思い出す際に、デジタルは便利。自分の記事の中を検索すれば、当時のことがぽんと出てくるのですから。
そう。こうやって毎日のことを書き連ねているのは、他の誰のためでもない、自分自身のため。記憶の保管のため。きっとそれ以上でもそれ以下でもないのでしょう。
その中でどこかの誰かの生きるヒントがあれば嬉しいのですが、こちらからどうぞと提供できるほど偉くもありません。
このブログでも過去記事を読み返すと、なんだか恥ずかしくなるものがたくさんあります。ちょっとこれ、消してしまったほうが良いんじゃない?と思うものもあります。
ですが、それもそれでここに至るまでの一人の人間の足跡だとすれば、いびつな形でも残しておいたほうが良いのかな、とも思います。幸い、これくらいの小規模なブログ、ネットの大海の端にあっても人様の迷惑にはならないのかなと。
42歳の現在。この先も日々のあれこれを、形式を変えつつ残していく作業は続けるのだろうと思います。それをたまに見返しては記憶を確認する人生。
そんなことをいつまで続けるか、ある時ぱたっと止めるかはわかりませんが、「残したい」欲だけで、書く習慣が身体に染みついていることは確かだと思います。
自分で書いたモノがある、だからこそいつでも記憶を引きだすことができるし、無理に覚えなくても良いんですよね。
って、こんなかんじで下書きを終わらせようとする私なのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫