「目くじら」ってクジラじゃないの?
「目くじらを立てる」という言葉を聞いた瞬間、私の頭の中に大きな潮を吹くクジラがざっばーんと現れます。
ですが、実際には「目くじら」とクジラは関係がないらしい。
意味を調べると、「些細なことを取り立ててとがめる」「他人の欠点を探して責める」ことを指すのだそう。語源としては「目じりが釣り上がるほど怒る」ことから来ているらしいですが、そう考えると納得できるような、できないような。
いずれにせよ、「目くじらを立てる」ことは、人を責めたり、非難したりする行為につながります。それは、する側にとっても、される側にとっても、決して気持ちの良いものではないですよね。
責めることの負のループ
誰かの些細なミスを見つけると、ついつい指摘したくなることがある、それが人間。
ですが、それが一度や二度ならまだしも、習慣になってしまうと、どんな小さなことでも見過ごせなくなり、心がそわそわしてしまう。そして、責められた相手もまた、反発したり、落ち込んだりする。
「何でそんなこともできないの?」 「ちゃんとやったら?」そんな言葉を投げかけるたびに、自分の中の不満も高まり、相手との関係も悪くなっていく。
さらに、指摘したことで相手に謝られたとしても、なんとなく後味が悪い。責めることによって、よりお互いのストレスが増してしまうではないですか。
そんな負のループにはまってしまうと、どちらも疲れるばかり。最終的には「もういいや……」と心がすり減ってしてしまうんですよね。
目くじらを立てないという選択
では、どうすればこの負のループから抜け出せるのか。答えはシンプルで、「最初から目くじらを立てない」こと。
そもそも、人生において完璧な人はいないし、どんなに気をつけてもミスは起きます。自分も誰かをイラッとさせてしまうことがあるのだから、相手のミスも「まあ、そんなもんだ」と思って受け流せばいいじゃないですか。
もちろん、仕事や大切な場面では、しっかり指摘しなければならないこともあります。ですが、どうでもいいような小さなことに毎度目くじらを立てるのは、おたがいの心をすり減らすだけ。
心の中に現れる「ざっばーん」と潮を吹くクジラ。そのクジラを抑え込むことで、心穏やかに過ごせるのなら、意識的にそうしたい。そう思います。
怒ることで疲れるくらいなら、最初から気にしないほうが楽。そう思いながら、今日も心の中のクジラを静めていきたいものです。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫