このようにつらつらとブログを毎日書き始めてから一年。
相変わらず、ネタのストックもなく、その日その日で頭の中に浮かぶことを文字にしております。
言葉が自分の中から出て来ないこともありますが、それでも自然と毎日継続できているのは、私が「コミュ障(コミュニケーション障害)」だから、かもしれません。
直らない性格
リアルの私をご存知の方なら、おわかりでしょう。
私は、極度の「緊張しい」「コミュ障」「口下手」「人付き合いが苦手」という社会的にネガティブな表現が、これでもかと当てはまる人間。
これは自分を卑下しているわけでもなく、ちゃんと幽体離脱して自分を客観視したので、知っているのです。
幽体離脱は嘘ですけど。
子どもの頃から他人と交流するのが苦手で、いつも「相手がこう思ったらいやだな」「こう言われたらいやだな」と、どきどきしながら過ごしてきました。
これが大人になったら、いつの間にか自然と改善されていくのかな?と思いきや。
現実はまったくそうではありませんでした。
40歳を超えた今でも、正直「緊張しい」で、初対面の方と話すときは心臓ばくばく、頭がぽーっと熱くなります。
話しているうちに、ロレツが回らなくなることもあり、「自分で何しゃべってるんだろう?」と情けなくなることもあります。
そんな私が現在、肩書上「営業職」、というのも笑えるのですが、よくこんな大人のような子どもが世の中で働かせてもらえているなと、自分でも驚いています。
そんな「コミュ障」の私だからこそ、このブログが続けられているのかもしれません。
続けてきた日記
中学校の頃から、ひそかに日記を書いていました。
確か最初は大学ノートに、こうやって横書きでその日あった出来事をつらつら書いていたっけ。
日記を書き始めたのは、中二でした。
不登校だった時期がしばらくあり、登校を再開した頃に、そこらへんにあったノートに、その日あったことを書きなぐるようになりました。
当時、ミステリーにはまっていたので、背伸びして難しい言葉を使ってみたり、固い表現をしてみたり、あれこれ試していました。
まさに、中二病。読み返すのもイタイ内容で満載でした。
そして高校に入学して、初めて好きになった子にまっしぐらになった時、当時の日記の熱量はすごかったです。
もう、暑苦しい!今思いだしても、「おいおい、こんなに燃えちゃって、大丈夫か?」です。
「今日は話せた」「話せなかった」そんなどーでも良いことを延々と書き連ねていました。
高校を卒業し、大学受験に失敗して一浪したとき。日記には、さらに鬱々とした日々が書き連ねられていました。
そして大学、社会人と、年を重ねても消えない日常のモヤモヤを吐きだすかのように、継続してきた日記。
環境は変われど、紙に書きなぐることは変わりませんでした。
ペンを持って、自分の気持ちを言葉にするだけで、なんとなく気持ちが落ち着く感覚は、中学の頃から変わらず。
習慣というか、心地よいクセが今も忘れられない、といったかんじです。
残された日記
数十年書いてきたノートや日記は、ある時ほぼすべて処分したので、今手元に紙として残っているのは1冊のみ。
これは妻からプレゼントでもらったもので、私の大好きな色の3年日記。
もらったのが嬉しくて、ありがたく2015年から2017年の3年間、毎日日記を書きました。
見返すと、その日その日で文字の丁寧さも違うし、英語を勉強しだしてからは英文で書き始めたり。
特にこの三年間は、結婚して子どもが生まれて、家族という単位になれた、重要な期間でした。
読んでいると、自分の気持ちや生き方がころころ移り変わる様を、まるで今の自分とはまったくちがう人間のように、面白く思えます。
書いている当時は辛かったことも、今思えば「そうそう、その時はそれくらいがしんどかったよね」と思える箇所もあります。
だとすれば、過去の自分より、ほんのすこしは成長しているのかも?なんて偉そうに鼻を高く伸ばしてしまいます。
過去の日記を振り返ると、「あぁこの時はこうやって自分の気持ちを整理して、前に進んでいたんだ」と、なんだか自分のことを愛おしく思えるのです。
日記からブログへ
その日記のかたちが自然と今のブログに変わりました。
ご覧のとおり、ぱっと見はプロのデザイナーさんに作っていただいたのでしゅっとしてますが、その中身は雑多そのもの。
ですが、ここまで続けてきて思うんです。
これはこれで良いんです、と。
何かに特化した、教科書通りに作られたPV数万の「きれいなブログ」は探せばすぐみつかります。
そういったものは他のブロガーさんたちにお譲りして、私は私でこのような雑多な雑記ブログを、このネット上にしたためていきたいのです。
これは、特定の誰かのために書いているものではなく、実はただの日記。
私あてに書いている内容だから、自分のニックネームがタイトルになっているという傲慢さもお察しください。
自分のために書いた中で、どこかの誰かにとって生き方のヒントになるものがあれば、それはそれでよし。
当ブログ内の、ヒントにすらならないゴミのような文章の中にも、もしかするとわずかに使えるモノがあるかもしれません。
それくらいの意識で、公共の場で文章を書かせていただいております。
現実世界で人対人が苦手すぎる私が、このように日記のような文章を書き続けているのは、ある意味必然でした。
日常のもやもや、自分へのもやもや、それを吐きだす場所が、なにかしらほしかった。
吐きだし方は、結局大人になれど、タバコやお酒やギャンブルに変わることはありませんでした。
ハマらなかったのは、直感で「自分には似合わない」と思っていたからでしょう。
その過去の直感には今、全力で感謝しています。ありがとう、私。(ぽんと肩に手を添えてグッドのポーズ)
その代わり、運動や音楽や文字を書き連ねることで思いを吐き出しているのは、中学・高校の頃から変わっていません。
なるほど。ある意味、私はまだ子どもなのかもしれません。
40歳を超えた、子ども。と、字面がひどすぎてすみません。
ですが、大人になったという感覚は可哀そうなくらいなくて、まいっています。
今もなお、人前で緊張するし、音楽で感動するし、理不尽なことに悶々とすることもある。
もしかしたら、このまま一生人格が完成しないかも・・。
なんて憂いもすこしありつつ、まぁ良いかと、開き直ります。
こうやって書いていることが、また未来の自分の生き方のヒントになるかもしれない、希望になるかもしれない、そんな「かもしれない」だけで、また今日も駄文を書き連ねていくという。
そんなとりとめのない、今日の記事でございました。
『書く習慣 自分と人生が変わる いちばん大切な文章力』いしかわゆき
そうそう、こちらの、いしかわゆきさんの『書く習慣 自分と人生が変わる いちばん大切な文章力』を読んで、とても励まされました。
いしかわさんもご自分が人付き合いが苦手だったから文章を書く道を選んだといいます。
飾らず、自分らしく、思ったことを日々書いていれば、きっと自分の道は開けていく。きっとそうですね。
読後すっきり、心が軽くなりました。
また私も書いていくことを続けていこう!と思うのでした。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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