「私=飲まないヒト」
ということは、だいぶ周りで浸透してきのかな?なんてふと思いました。
ここ2・3年ほど、まともお酒を飲んだ覚えがありません。
もともと晩酌をする習慣はなく、たまに飲み会でちょっと飲むくらいだったのですが。
もうお酒を飲まないことが平常運転となり、飲むことをすっかりこの身体は忘れてしまっているようです。
おそらく、今アルコールが身体に入ると、びっくりしてひっくり返るかもしれません。
あぶないあぶない。
そして、しばらく「お酒を飲まない」と公言してきた結果か、人から食事に誘われる機会がめっきり減りました。
もともと人付き合いが薄いほうだったことと、コロナ禍ということもあり、ごく自然な流れだったのでしょう。
過去記事でこんなことを書いていたから、みなさん気をつかってくださっているのでしょうか。(誰も読んでないって)
好きな仲間と食事をするのは、楽しい。それは間違いありません。
ですが、ここ数年お酒を飲まなくなって思うのは、やはり「私にとってはアルコールは必要がない」ということ。
もちろん、人類の歴史の中で、アルコールという文化が果たしてきたことは大きいし、これからもきっと人と人をつないだり、人の役にたつことも想像できます。
しかし、「私にとっては必要がない」という結論は、どうしても変わらず。
個人的に、お酒を飲まない生活で得られるものが大きすぎるため、いまさら元のいい加減な生活に戻りたくないのです。
飲めるけど、飲まない。
つまり、自称「ソバキュリアン」なのです。
また、あえて飲まない選択をしている「ソバキュリアン」とは他に、実際にお酒が飲めない下戸の方も数多くいます。
今やそんな下戸の市場こそが、ブルーオーシャンだという考えもあります。
コロナ禍の中で、お酒に対しても多様な考え方が認知されるようになってきました。
これは、私たち「ソバキュリアン」や下戸にとっては追い風でしょうか。
お酒を飲まなくとも、自分らしく生きたい。
春、歓送迎会の時期。これから各地で飲み会が催されます。
どうか、飲めない・飲まないヒトにも、もっと優しい社会でありますように。。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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