ランニングが習慣になりだしてからもう久しいため、今ではあまり聞かれることもありませんが、それでもたまにいただく質問。
「どうして走っているの?」
に対するお答えを、以前ブログの隅にちらっと書いたのを思い出しました。
私が毎日走る理由のひとつとして、「有事の際のランニング」が挙げられます。
これを人に言うと、「なんだこいつは?」になるのですが(笑)
これはいつも念頭に置いており、たとえシューズがなんであれ、状況がどうであれ、常に走り出せるようにしたいと思っています。
どういうことかと言うと、もし万が一、災害やその他混乱が起きたとき、家族や大事な人のもとにいつでも駆け付けられるようにしたいのです。
地震
火事
津波
大雪
テロ
その他社会的な混乱
もし絶体絶命のピンチのとき、それまで鍛えていなかったために身体が動かず、大事な人に取返しのつかないことが起きてしまったら、きっと後悔するだろうなと思っています。
もしかすると、
停電になり、電気が使えなくなる。
車や公共交通機関が使えなくなる。
整備された道路が通れなくなる。
そんなことが起きるかもしれません。
そんな時、人間の「走る力」が残っていれば、助けたい人を助けられるかもしれない。
家族のもとへ駆け付けられるかもしれない。
いざという時、普段のトレーニングが約にたつことを期待しています。
また、「弘法筆を選ばず」という言葉があります。
私の場合、ランニングシューズがそれにあたります。
普段履き慣れているシューズ(On)をたとえ履いていなくて、ある程度のパフォーマンスを発揮できるようにしておきたいです。
例えば、最近の雪が積もった状態でのランニングもそうです。
ランニングシューズではなく、ブーツで走っています。
普段から慣れておくことで、何も考えなくても雪の上を走れるようになります。
これも「有事の際のランニング」の練習の一貫だと考えています。
もちろん、雨の日も関係なく走ることもそうです。
つまり、「いつでも走れる身体」を手に入れたい、というのが走り続ける目的だと思います。
「考えすぎなんじゃないか」「心配性だ」のご意見は、ありがとうございます。
ただ、これが間違いなく私の走るモチベーションのひとつで、そのおかげで安心できている部分もあります。
何が起こってもパッと動き出せる、そんな身体、良くないですか?
これはいくらお金を持っていようが一朝一夕には手に入らないものです。
しなやかな身体は、日々愚直にこつこつ積み上げないと掴むことはできません。
私は、多くのモノは求めないので、ただ、家族や仲の良い友人と、できれば末永く楽しくすごしたい、そんな思いで生きています。
ですので、ある意味その人生を守る保険のひとつとして、身体を鍛えていると言っても良いかもしれません。
自分自身の身体に掛ける保険、と言ったところでしょうか。
備えあれば憂いなし。
安心を自分で作っているのが、日々のランニング。
そんな気がします。
もちろん、他にも走る理由はあります。
息子(5)とまだまだかけっこして遊びたい。
びゅーんと駆ける、パパさんを見せてあげたい。
せめて小学校の間くらいは負けたくない。
そんな想いもあるのです。
ランニングを続ける先に、明るい未来しか見えません。
だから私はこれからも走ります。
たてちんブログ 2022年1月22日投稿の記事より
今回の能登半島の震災では幸い家族は無事でしたが、それは偶然自分のいた場所やタイミングが良かっただけのこと。
次回の有事の際は、そうとも限りません。
果たしてその時に、この身体の自由がきくのか、思うように動くのか? 大事な人を守ることができるのか?
やはり私がふだん走るモチベーションの根幹は、「何が起こってもパッと動き出せる、そんな身体がほしい」で変わりません。
だからこそ、「なぜ走るのか?」と聞かれた時には、一番にそう答えているのだと思います。
いざという時に頼れるのは、自らの身体ひとつ。
そう信じて、またこつこつ走り続けていきたい。
今回の震災により、思いを新たにすることができました。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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