ミニマリストしぶさんの「〇」と「△」の話、好きなんです。
物質的な違いだけでなく、生き方にも応用が利く考え方だと思います。
ランナーのわたしにとって、「〇」と「△」とは。
「〇」と「△」の違いとは
ミニマリストしぶさんがよく引き合いに出す話があります。
「シンプル」と「ミニマル」の違いの例えとして、「〇」と「△」を挙げています。
つまり「〇」がシンプルな状態で、そこから周りの無駄をそぎ落とすとやがて「△」になり、それがミニマルな状態、という考え方です。
しぶさんによると、これはiPhoneなどのアップル製品にも見られる表現方法ということです。
余計なデザインや装飾がないからこそ、強調したいリンゴのマークが目立つ、という。
これはわたしもミニマリストとしての指針の要となる発想だと思っています。
そうして身の回りの余計なモノをどんどんそぎ落としていった結果、おかげ様で生活はミニマルに落ち着いてきたと感じています。
しぶさんには感謝。
△を生き方に落とし込む
身の回りをミニマルな「△」の状態にしていくと、やがて生き方自体が変わってきます。
それを実感しているのが、わたしにとってはウルトラマラソンの体験です。
今まで漠然と感じていた気持ちが、先日の「飛騨高山ウルトラマラソン」を走り切ってから、それが確信に変わりました。
「△」が生き方に落とし込まれ、自分の中でぴたっとはまりました。
自分にとっての無駄をそぎ落とした結果
生きている中で楽しいこと、やりたいことはたくさんあります。
人によっては、お酒を飲むこと、タバコを吸うこと、寝まくってひたすら睡眠を味わうこと、ギャンブルに没頭すること、などなど。
もちろん、それらやりたいことを全て楽しめる人はそれで良いと思います。
ただ、わたしはそんなに要領の良い方でもなく、器用にバランスを取ることができません。
であれば、自分の生活の中で無駄(※あくまで自分にとっては)な部分を削ぎ落として、本当にやりたいことをやるしかない、ということです。
わたしの場合、それは意識的にというより、むしろ無意識のうちにそれをやってきたように思います。
いつからかウルトラマラソンの魅力に取り憑かれてからは、出たい大会の予定をたて、それに向けてこつこつ練習を重ねる。
これがシンプルな状態なのですが、さらに余計なノイズを除去することで、よりミニマルな状態にもっていきます。
- 行きたくもない飲み会は断る
- ネガティヴな考え方の人とは距離を置く
- ランニングのアイテムは増やさない
そうすることによって、自分がどんどん研ぎ澄まされていくのがわかります。
シューズはOnだけで良いし、その他GPS時計(今はPolar)があればじゅうぶん。
どこにでも走り出せるし、ふらっといつでも100km走れる自信もあります。
それは、ウルトラマラソン以外の自分の要素が削ぎ落とされて、究極に身軽な状態だからこそ、だと思います。
「△」の頂点の部分がわたしにとってはウルトラマラソン。
突きつめた結果見えてきた、自分の強み。
なんだかそれがわかっただけでも、生きてきた甲斐があったというものです。
世の中、平凡でありきたりなこと、テンプレをコピペしたような生き方をよしとする風潮もあります。
ただ、その中で自分のとがった部分を見つけ、それを味わいつくす生き方も、良いのではないかと思います。
せっかくこの世で命を授かったのだから。
つるっと丸いままでいるより、(人に危害を加えなければ)刺さりそうなくらいとがっても良い。
わたしはこれからもランナーとして自分の三角の頂点を磨いて、抱きしめて、大切にしていきたいと思います。
そんな「◯」と「△」のお話でした。