センター試験 10代の成功体験を忘れられずにいる

みなさんこんにちは、たてちんです。

今日は「大学入学共通テスト」初日でしたね。

受験生のみなさんお疲れ様です。

私もこの時期、いろいろ思い出すことが多いです。

目次

センター試験

私が大学受験生だった頃は、「センター試験」という名称でした。

「センター」という響きは、今でもなんだか「どきっ」とします。

特に国公立を目指す受験生にとっては、最初に立ちはだかる関門なので、その存在は大きかったのを覚えています。

「センター試験」の朝の雰囲気も独特でしたね。

大勢の高校生(中には浪人生)が送迎の家族とぞろぞろと会場に集まって、それぞれの緊張感が足されて大きな緊張になる。

その日の試験の出来不出来で、二次試験を受験する先を選びます。

志望校のままで行くか、下方修正するか。

多くの生徒が岐路に立つわけですが。

私の場合、地元の国公立(金沢大学 以下金大)一本だったので、私立はなし。

まさに崖っぷち状態でした。

私は高校時代、ふとしたことから私は地元の金大を目指すことになりました。

金大、目指してみない?

高校時代、引っ込み思案でなかなか同年代の子に馴染めなかった私は、どちらかというとフレンドリーな先生方といることが多く、よく職員室に通っていました。

そのせいか、学校の勉強だけは得意になって、入学当初から期考査でもバンバン高得点をたたき出すことができました。

もともと公立高校を目指していたものの、受験で失敗し、滑り止めのつもりで受けた私立高校に通うことになったのです。

学力のレベルが、ちょうど当時の私にとってぴったりで、ゲームで言うとイージーモードだったと思います。

これは決して周りのみんなをばかにしているわけではなく、たまたまその学校での勉強が私のツボにはまって、楽しくゲーム感覚で過ごせた、ということです。

学校はスポーツが強く、打ち込んでいる生徒はみんな突き抜けてかっこよかったです。

「いつも勉強しているやつ」と周りから思われると、次第に先生方からも「国公立大学を目指してみないか」と提案されるわけです。

私は当時から、ひねくれつつ、心の奥では目立ちたがりの性格だったので、おだてられると(?)、「よっしゃ、やってみよー!」となるわけです。

そこには、高校受験で失敗したというコンプレックスを跳ね返そう、という思いもあったと思います。

それから、どんどん定期考査でどの科目も90点台の点数が取れたり学年で何番になったり、と順調にいきますが、受験シーズンが始まると、だんだん様子が変わってきます。

井の中の蛙大海を知らず

全国模試で力試しをしようにも、どうにも判定が伸びない。

だいたい、「E」か「D」で、ほぼ「諦めなさい」と言われているようなものです。

進学校でない高校の定期考査でどれだけ高得点を取っても、全国の高校のスタンダードな問題に全然太刀打ちできない状況でした。

今のようなネットが普及していなかった時代。

全国の受験生の情報源も限られているし、SNSを使ったつながりもない。

受験生は、それぞれに孤独だったと思います。

そんな中、みんな頑張っていたなぁ。

悔しいので勉強しまくります。

部活も3年生までやっていたのですが、引退してからはほぼ図書館にこもっていました。

我が家はきょうだいが多く、とてもじゃないですが集中して勉強できませんでした。

親からもらったお小遣いはほぼ参考書や問題集に消えました。

そして迎えた「センター試験」。

「蛙」はあえなく撃沈しました。

浪人とパン屋のアニキ

滑り止めのない私は、真っ逆さまに転がっていきました。

しかし、行く当てのない私を両親が予備校に通わせてくれ、浪人することになりました。

きょうだいが多い中、本当に感謝しています。

予備校では今でも連絡を取り合う仲間にも出会えて、高校時代とはまたちがった楽しさがありました。

親には申し訳ないのですが、今思えば浪人して本当によかったです。

浪人の一年間は、早朝にバイトをしていました。

朝の5:00から、自転車に乗って地元のパン屋へ。

厨房で3時間調理補助をしていました。

朝一、私とお店のキーとなる超ストイックなパン職人のアニキと二人でもくもくと作業をしていました。

生島ヒロシさんのラジオが流れ、パンの香ばしいにおいに包まれる。。。

この職人のアニキは本当に仕事に厳しくて、パンについては妥協を許さない人だったのですが、私が高校を卒業して、初めて社会人ってすごく努力をしなくてはいけない、と感じました。

アニキは寝ても覚めてもパンを作る、根っからの職人気質で、今は独立してご自身のお店を構えています。

普段は厳しいですが、右も左もわからない素人の子どもに、親切丁寧に教えてくださいました。

時折見せる笑顔も素敵でした。

そんなパン屋のバイトを終えたら、残ったパンをちょっといただき、予備校で勉強する。

そんな生活を1年続けていたら、あっという間に2回目のセンター試験が訪れました。

報われる

そして2回目のセンター試験。

その日は、浪人生まるだしのいでたちで、半ば勘違い野郎でした。

髪はブリーチで抜きすぎて、金髪というか金を超えた色をしていました。

それに、背中にドーンと竜のプリントがあるパーカーをなぜか着ていたという。

今では考えられないセンス。。。

ぶっとんでいた自分に乾杯。

このなりで行ったのが原因か(?)、この年も結局センター試験で思ったような点は取れませんでした。

しかし、前年よりかはもちろん点数は取れたので、志望校・金大の二次試験にすすみます。

結果的に、運が良かったのかなんなのか。

センター試験の判定は「D」だったものの、二次試験は通過、晴れて合格しました。

何が良かったのかは今となってもわかりませんが、合格は合格。

晴れて金大生(金沢大学の学生)になれたわけです。

10代の成功体験

浪人してからの国公立大学合格は、私の人生初期の中でのハイライトでした。

大学に受かって、卒業して希望の企業に就職して順風満帆かというと、必ずしもそうではないのですが、のちのち、頑張って金大を目指して受験してよかったなと思うこと、多々あります。

この10代での成功体験の充実感が忘れられず、今も追い求めているのかもしれません。

もうすぐ40歳になる私。

結婚して子どもができてパパになって、生活はあの頃とまったく違いますが、ライフイベントがいったんひと段落した今、再び学びの意欲が溢れてきています。

気力も体力もじゅうぶん。

まだまだ学んで行動して、見たことのない世界を開いていきたいです。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

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