【雑記】上手なものはAIに任せて、人間は「下手」を楽しもう

ぜんぶ上手でなくてもいいってこと

とあるXのリプ欄でこんな一言を見て、思わず膝を打ちました。

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Xより

たしかに。最近のわずか数秒で「〇〇風」に変わる絵作りを目の当たりにすると、確かに数年前の職人レベルのクオリティは誰でも手に入る時代になったと実感します。

写真も動画もフィギュアも、AIの力で短時間に高品質なものが生まれる。だからこそ、私たちは「全部上手でなければ」と焦らなくていいのではないか──そんな気楽に構えても良いんじゃない?

そんなメッセージのように思えました。

わたしたちの個体差が味になる

上手さだけが価値ではないという発想は、肩の力を抜く魔法ともいえるかも。

絵でもなんでも、たとえそれが下手でも、発想や人生経験、ユーモアや欠点が滲み出る作品は、古今東西、わたしたちの心を動かしてきたじゃないですか。

AIが計算しきれない「奇妙さ」「脱力」「不完全さ」こそが、作品の個性になり得る。完璧なものが溢れるなかで、むしろ人間らしいラフさが目立ち、愛される。

上手さそのものはもうAIに任せて、自分は自分の味を磨けばよい──そう割り切ると、表現のハードルが下がり、なんだか手が動くような気がします。

共存できたらいいな

AIが得意な「きれい」「緻密」「速さ」は今後もどんどん伸びる一方、それで芸術が終わるわけではないと私も思います。

AIにしか作れないもの、人にしか出せないものが共存する未来が来たら、それはそれで面白い。

私たちはAIに助けを借りつつ、自分の欠点や経験を活かして、肩の力を抜いて創作を楽しめばいい。完璧主義から解放されたとき、表現の幅はむしろ広がる。

そんな明るい未来を感じさせる、いい一言に出会えてよかった。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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