「前もそうだったよね?」「また同じミスしてるよね?」
日常の中でふと投げかけられるこの言葉が、どうしてこんなにも胸に刺さるのでしょうか。
失敗した本人が一番よくわかっている。反省しているとき、落ち込んでいるときに、そんな追い討ちの言葉を浴びると、心にぶすりと棘が刺さったような気持ちになります。
言った側は気づきを与えるためや指摘のつもりかもしれません。でも、言われた側はすでに傷ついていて、それ以上の指摘はただの責めにしか感じられないのです。
本当に相手のことを思うなら、その言葉は必要でしょうか?
「前もそうだったよね?」という言葉には、無意識のうちに「また失敗したあなたは成長していない」というニュアンスが含まれています。だからこそ余計にぐさりとくるのです。
思いやりのない指摘は、ただの攻撃になる
ミスや失敗は、誰だってあるもの。問題はそこから何を学ぶかです。
でも、指摘する側が感情のままに言葉を投げつけると、それは「学び」ではなく「攻撃」になる。
相手のためを思っているようで、実際は自己満足の怒りやいらいらをぶつけているだけなのかもしれません。
もちろん、指摘してくれる相手に「思いやり」を求めるのは筋違いだという声もあるでしょう。「失敗・ミスした側が悪いんだから責められて当然だ」と。確かに正論かもしれません。
ですが、正論をぶつけることで、相手が本当に成長するでしょうか?反省するでしょうか?むしろ、心を閉ざし、次のチャレンジを恐れるようになるかもしれません。私はそう思います。
自分はそんな言葉を使っていないか?を振り返る
そんな「前も○○だったよね?」という言葉に過剰なほど傷つきやすい、と自覚があるからこそ、私は思います。
自分も誰かに同じことをしていないか?
とくに、身近な存在である妻や子どもに対して。「また忘れたの?」「前もこうだったよね?」と、つい口にしてしまったことはないか?
言われていやなことは、自分も言わない。たったそれだけで人間関係は変わるはず。
わざわざ過去を持ち出して責める必要はない。今の事実だけを見て、受け止めて、一緒に前を向ける言葉を選びたい。
だからこそ私は、あらためて誓います。必要のない一言で、家族や同僚の心を傷つけないようにしよう。
気持ちを切り替えて、また前に進もう。過去に縛られず、今日をちゃんと生きていこう。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
