【妻が言っていた】「無事に帰ってくるだけでいいからね」で一日のハードルが下がる

朝の言葉がくれる安心感

毎朝、妻が息子くんを小学校に送り出すときに、決まってかける言葉があります。

「がんばらなくていいしね、無事に帰ってくるだけでいいからね」

そう、ここが「がんばってね」ではないのです。だけどこの一言には、「がんばって」以上に不思議と心がふっと軽くなる力があるような気がします。

妻は息子くんに対してだけでなく、私に対してもそう言って送り出してくれます。結果、今では私も、出かける家族に同じ言葉をかけるようになりました。これもひとつ、習慣といえると思います。

「がんばって」と言わない理由

思い返せば、私がマラソン大会のために遠征する日も、妻から「がんばって」と言われたことは一度もありませんでした。

最初は「応援してくれてないのかな?」と勘ぐったこともありましたが、彼女の行動を見ていれば、そんなことはないとわかりました。

大会の日には起きやすいようにサポートしてくれたり、帰宅後の疲れを労ってくれたりと、むしろとても気にかけてくれています。

では、なぜ「がんばって」と言わないのか?

私なりの解釈ですが、それは「相手の心のハードルを極限まで下げるため」なのではないかと思います。

人は毎日同じように元気でいられるわけではありません。やる気の出ない朝も、学校や職場に行くのが少し憂うつな日もあります。

そんなときに「がんばって」と言われると、さらに自分を奮い立たせなければいけないような気がしてしまう。

でも、「無事に帰ってくるだけでいい」と言われれば、「それだけでいいんだ」と安心できる。その余裕こそが、結果的にその人を一番支えるのかもしれません。

おそらく妻はそれを経験から意識するようになったのではないかと思うのです。

「気をつけてね、無事に帰ってきてね」と伝える日常

だから私も、妻が仕事に出かけるときにはこう言います。

「気をつけてね、無事に帰ってくるだけでいいからね」

もちろん、職場で手を抜こうなんて思っていません。ただ、誰かが自分の無事を願ってくれていると感じるだけで、人はあたたかい気持ちになれるのです。そしてそれは、がんばる原動力にもなります。

月曜日の朝、また新しい一週間が始まります。気が重くなりがちな週のはじまりにこそ、「無事に帰ってくるだけでいい」という言葉が、心にそっと寄り添ってくれる。

今日もそれぞれの場所で過ごす私たち。目的も、立場も、やることも違うけれど、まずは無事に帰ってくること。もう、それだけで良くないですか?

そう思える朝の言葉は、家族のあいだの小さな祈りのように思えます。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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