忘れられない一句
「黙って今日のわらじ履く」——
この一句を初めて目にしたのは、高校一年生の国語の授業でした。教科書の中に現れた、妙にでこぼこなかんじの俳句。
他の詩人の句もあったはずなのに、なぜかその言葉だけが、今でも私の記憶に深く刻まれています。
作者は、種田山頭火。山口県出身の俳人で、早稲田大学を中退した後に出家。定型にとらわれない「自由律俳句」を詠んだことで知られています。
山頭火は1940年に亡くなるまで、放浪と酒にまみれた人生を送りました。決して模範的な生き方とは言えないかもしれませんが、どこか人間味にあふれたその詩と生き様には、高校生の私にとっても独特の魅力があったのを覚えています。
ちなみに山頭火では他に、私が好きなのはこちら。
- どうしようもない私が歩いてゐる
- 酔うてこほろぎと寝ていたよ
- まっすぐな道でさみしい
- 分け入っても分け入っても青い山
黙って生きる覚悟
「黙って今日のわらじ履く」という句には、声高に叫ばず、状況を受け入れながら一歩ずつ進む覚悟がにじんでいるような気がします。
嫌なことがあっても、気分が乗らなくても、それでも今日という日を生きる。黙って、わらじを履いて歩き出す。
私も若い頃には気づけなかったこの句の重みが、年齢を重ねるごとに身に染みるようになりました。
大人になればなるほど、感情を表に出すわけにもいかず、黙ってこなさなければならない日々が増えていきます。
けれど、それは決して「我慢」ではなく、「生きる力」そのものなのかもしれません。
今日のシューズを履いて走り出す
学生時代は「わらじ」だったものが、40代の私には「ランニングシューズ」になりました。
仕事で疲れていても、気が乗らない朝でも、とりあえず黙ってシューズをに足を入れて、走り出す。
そんな小さな行動の積み重ねが、ここまでの人生をつくっていくのだと、最近つくづく思います。
山頭火のように破天荒な旅をすることはできませんが、それでも心のどこかで「今日も生きる」という覚悟を持ち続けていたい。
どんな一日になるかわからなくても、まずは靴を履いて、外に出る。それだけで、少し前に進んだような気がするのです。
「黙って今日のわらじ履く」——
高校生の頃に教科書で出会ったその一句が、ずっと頭の中に残っています。ただ、それだけの話。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃