過去の「イタイ」思い出が今をつくる
誰しも、若い頃の自分を振り返ると「イタイ」と思う瞬間があるじゃないですか。10代・20代の頃、勢いのままに行動したり、無鉄砲なことをしたり、今では思い出したくないようなこともあるでしょう。
私も例外ではなく、中学生の頃は陸上部で短距離を走っていましたが、真剣に取り組んでいるふりをしていました。高校では長距離をやっていましたが、こちらも適当にこなしていただけ。
特に走ることに情熱があったわけではなく、ただ球技が苦手だったので、走るだけならなんとかなるかもという理由で続けていました。当然、目立った成績もなく、「なんとなく」陸上をやっていたに過ぎません。
大学に入ると、金髪デビューし、遊びまわる日々。運動とはすっかり無縁になり、時には人を傷つけるような言動もしてしまいました(法には触れませんが)。
そのせいで自己嫌悪に陥り、落ち込むこともありました。でも、ある日ふと走ることを思い出し、試しに走ってみると、なんとなく気分が晴れる。そんな感覚がありました。
若い頃に吐き出しきった毒のおかげなのか、40代になった今、心はすっきりとしています。そして今では「若いうちにこじらせておいて本当によかった」とさえ思えるのです。
20年後の自分もまた、今を「イタイ」と思うのか?
ただ、そんな今の自分の考えも、20年後には青臭く思えてしまうのかもしれません。
40代の今、やりたいことに挑戦し、好きなことに熱中していますが、60代になったときに「40代の自分はずいぶん熱くなっていたな」と振り返ることになる可能性もあるでしょう。
それでも構わない、むしろそういう生き方をしていた証だと思っています。
年齢を重ねても、やりたいことをどんどんやる。その結果、後から振り返ったときに「なんであんなことしてたんだろう」と思うことがあったとしても、それもまた自分の人生の一部。
そう考えると、何かに一生懸命になることや、自分を表現することを恐れずにいられる気がします。
「イタイ」人生を積み重ねて、最期を迎えたい
もしかすると、人間は死ぬまで「若かったな、イタイことしてたな」としみじみ思い続けるものなのかもしれません。でも、それでいいのではないでしょうか。
若いうちにこじらせたからこそ、今の自分がいる。そしてこれからもこじらせながら、自分の思うままに生きていく。
「もう若くないから」と何かを諦めるのではなく、むしろこじらせ続けて、人生を楽しんでいきたい。たくさんの「イタイ」思い出を持ったまま、人生の幕を閉じる。それが、私の理想の生き方です。
だからこそ、今日も、全力で好きなことに打ち込んでいこうと思います。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫