【ランニングあれこれ】いったい何のために走るのか?→A:

自分に問いかける:何のために走るのか?

アンパンマンの歌ではないのですが、ランニングやマラソンを続けていると、ふと「何のために走っているのだろう?」という疑問が頭をよぎることがあります。

うーん、考えなければ良いのに、いったん気になるとずっと考えてしまう悪いクセ。ランニング・マラソンで記録を更新したい、過去の自分を超えたい――確かに、それも理由の一つです。でも、その記録を更新すること、過去の自分を超えることの、本当の目的は何なのか。


いいねが欲しいだけ?それとももっと深い何か?

SNSに日々の練習を投稿したり、大会の記録を載せて「いいね」をもらえると、掛け値なしに嬉しいです。その反応がモチベーションになることも事実です。ですが、それだけで終わりではありません。

もっと自問してみると、私がランニングを続ける本当の理由に気づきました。それは「自分との約束を守ること」にありました。自分で決めた目標を達成することで得られる達成感と、それに伴う自己肯定感。いわば、気分が良いということ。これは他人の評価とは無関係で、純粋に自分自身を認める感覚なのです。

朝のランニングを終えたときに、「今日も走れた。自分との約束を守れたね」と心の中で自分を褒める。それが小さな喜びになり、機嫌よく一日のスタートを切れます。

私の場合、たった4km・20分程度、毎日必ず走っています。これは自称ランナーとしては短すぎる距離かもしれませんが、それが家族と暮らす生活スタイルの中で、いま自分にできる精一杯のこと。

だからこそ、そこでサボったりズルをしたりすると、自己肯定感が揺らいでしまう、というこが感覚でわかります。私にとってほんのすこしでも毎日走ることは、自分自身を誠実に保つための大切な習慣になっているのです。


走ることで得られるシンプルな幸せ

最終的に、私が走る理由はとてもシンプルなもので、人に語るにはまったく面白くないものでした。ランニングという行動を通じて自己肯定感を高め、自分自身に「それでいいんだよ」と伝えるため。もはやそれ以上でも以下でもありません。結局は、自分の機嫌を自分でとっているだけなのかもしれません。

そしてありがたいことに、私は心身ともに、走ることに対する適性を持っていました。恥ずかしながら、そう気づいたのも実はつい最近のこと。だって、走ることが面倒とか苦手とか、思ったことないですもん。むしろ、走ることによって手に入れてきたモノが多すぎて、感謝してもしきれないくらいですから。

だからこそ、ランニングをもっとシンプルに捉えたいと思うようになりました。「こうしなければならない」と気負わず、ただ走ること自体を大切にし、楽しむ。そんな姿勢で、これからもできる限り長く走り続けたいと思うのです。


というわけで、

Q:「何のために走っているの?」

という問いにたいしては、

A:「走ったら自分との約束を守れた感覚があるし、単純に気分が良くなるから」

という答えを置いておきたいと思います。

おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫

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