ベストセラー「DIE WITH ZERO」の中で言及されている「記憶の配当」という概念。
その言葉を知ってから2年ほど経ち、さっそくその配当を受け取っていることを実感しています。
本書では「人生は経験の合計」とされていました。毎日どのように生きて、どのような経験をしたか。足して足して、人が最期を迎えた時にどれくらい充実した人生を送ったか、その指標となるのが経験なのだといいます。
そこでなにより重視したいのは「記憶の配当」。ひとつの楽しい経験は決して一時的なものではなく、のちのち思い出すことで副次的な恩恵を受けられるもの。だからこそ、人生の早い段階で経験は積んでおいたほうが良い、というのが「DIE WITH ZERO」の提案する生き方でした。
読後、私も「記憶の配当」を念頭に過ごしてきましたが、たしかにじわじわと経験による配当を得られているなと感じることがあります。
あの時参加したマラソン大会は土砂降りだったな、酷暑でしんどかったな。なかなかチケットがとれないあのアーティストのライブは最高だったな。
思い切って食べに行った高級割烹、びっくりするくらいおいしかったな。
そうやってひとつひとつ経験したことを思い出すと、ここまでの自分の人生、山あり谷ありだったものの、決して悪くなかったなと思えます。
さらに家族ができてからはその単位でいっしょに過ごすことも増えました。
家族であそこに旅行にいったね、あのホテルよかったね。
ママが食べたいって言っていたパン屋さんのパン、おいしかったね。
息子くんが夢中になっていたあのおもちゃ、いっしょに遊んで楽しかったね。
経験当時に家族で撮った写真を見返すと、より鮮やかに記憶がよみがえります。あの時、最高だったね、またみんなで行きたいねって。
頭の中にある記憶は持ち運びができるし、いつでも呼び起せます。いくら増えてもスペースをとらない、かさばらないのもうれしいところ。
だからこそ、物質的なモノより経験にお金の使い道を全振りしたい。そして家族がある身としては、独りで配当を味わうのももったいないので、ぜひとも家族単位で共有したい。そんな思いで過ごしています。
どうせ親子いっしょにいられるのも子どもが巣立つまでのわずかな期間。せめてその間はみんなの記憶に残る経験をどんどん積んでいきたいのです。
さらにそんな経験を積むという視点でいると、ありきたりな今日という日も違った角度から見えるのではないかな?と思います。
子どもが興味がもったことに耳を傾ける、パートナーと何気なくおしゃべりする。その中でのちのち記憶に残るものも、きっとあるはず。そう思えばまた明日が来るのも楽しみになってきます。
わたくし現在42歳。いま経験したことは、残りの人生約40年?ほどの期間、配当を味わえることになります。また、家族で過ごしたことは、年下の妻や子どもにとってはきっともっと長い期間、記憶に残るもの。
どうせ人間いつか終わる時が来るのですから、その時に向けてこつこつ経験を積み増していく。願わくば、独りではなく家族・仲間とともに。そしてのちのちその配当をみんなでじっくり味わう。
そんな生き方を何よりも重視していきたい。私はそう思うのです。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫