人間到る処青山在り
その一節、私もうっかり「にんげん いたるところ あおやま あり」と読んでしまいました。
正しくは、「じんかん いたるところ せいざん あり」だそうな。
42歳のワタシ、はじめて目にしたのは奥田英朗さん「家日和」の一編の中でした。
「人間(じんかん)」は世の中のことで、「青山(せいざん)」は墓場のことだ。だから「人間到る処青山在り」とは、「世の中、どこにでも骨を埋める場所がある」という意味なのだ。
『家日和』奥田英朗
本作でこのフレーズが出てくるのは「ここが青山」という一編。
突然リストラを告げられたサラリーマン青年が、妻と立場が逆転。戸惑いながら主夫として過ごす中でこの言葉を噛みしめるのでした。
どうもこの「人間到る処青山在り」という漢詩、おもに年配の方が若者に向けて贈るはなむけの言葉として使われるそうですね。
「故郷にこだわらず、どこに行っても自分らしくがんばってくれ」のようなことをちょっとかっこつけて言ってみるような?
さすがに令和の世の中、なかなかこの一言で気持ちが伝わるとは思わないのですが、それでもどっしりとした一節。なんだか重みがあります。
そうか、この世の中、セイザン=墓場はどこにでもある。今しがみついている場所がすべてではない。
それはきっと、職場環境でもあったり、家庭環境でもあったり、何かよりどころにしているモノもそう、「それに必ずしも最期までこだわる必要はない」。そうだと思います。
それらを自分の意思で離すこともできれば、不可抗力で離れざるを得ないこともある。そんな時に頭の片隅に残しておきたい「青山」。
きっと探している答えはひとつではなく、無数にあるのだと思えば、もっと身軽に生きていけるのだろうと思えるのです。
どこに行っても何をしても、結局は自分は自分、ですからね…。
あ、ワタクシ今の生活に特に不満があるわけではなく、ただひとつ、コトバが勉強になったなということで今回シェアしたしだいです。
人間到る処青山在り (じんかん いたるところ せいざん あり)
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫