自分が他人からどう思われているか?
自分のコンプレックスが気になって仕方ない、夜も眠れない、そんな時期もありました。
しかし、そんなことを気にする考えを捨ててしまったことで人生が変わった実感があります。
きっかけは、いつでも妻でした。
コンプレックスだらけの人間
人は大なり小なりコンプレックスを抱えているものです。
たとえ完璧に見える人でも、自分に納得がいっていない部分があるはず。
わたしも当然当てはまり、特に思春期から30代前半まで、がっちがちのコンプレックスのカタマリでした。
わたしの場合、髪が天然パーマでごわごわ、ほうっておけばクルクルパーマになって、さらさらヘアーの男子がモテる時代、超絶気になって自分の体質を呪いました。
それをなんとかしようと、美容院でストレートパーマをあてるものの、それもしばらくするととれてくる。またパーマをあてるの繰り返しで、とてもストレスフル。お金も時間もかかりました。
また、身長が162cmと、男性としてはかなり小柄なことも長年コンプレックスでした。
身長が高い男子のほうがモテる!そう信じてやまない時期があるものです(笑)。
これもどうしようもない部分であり、ずっと身長が高い男子のことを恨めしく思い、自分を卑下していました。
中学時代から始まった卑屈な考えは、かなり長い間続き、高校を出て、大学に行って、社会人になっても簡単には消えませんでした。
「どうして自分は〇〇なんだろう。。」「あの人と自分を比べたら。。」
そんな考えてもどうしようもないことに頭を悩ませ、日々落ち込んでいました。
救世主、妻
わたしのコンプレックスが解消されたきっかけを一言で言うなら、ずばり、妻と出会えたことです。
どちらかと言うとネガティブで卑屈な性格だったわたしと対照的に、明るく元気で誰にでも丁寧に接することができる人です。
付き合い始めた当初から、わたし自身コンプレックスに思っている部分を受け止めてくれて、時にはそれをポジティブに変換してくれたり、彼女なりに理解したうえで長年いっしょにいてくれています。
いっしょに過ごす中で、「なんだ、難しく考えていたけど、案外こんな楽に考えてよいのか」と、トゲトゲしていた気持ちが収まっていくことも多いです。
もはや、それまで悩んでいたコンプレックスは霧が晴れたように消えていきました。
まったく、妻には感謝しかありません。
見栄を捨てること
さらに妻と生活している中で、ミニマリスト的な考えを取り入れていったこともあり、よりコンプレックスとおさらばしていくことになりました。
ミニマリストは、自分にとって必要のないモノをそぎ落とし、本当に大切なモノにフォーカスする生き方です。
物質的なモノをいるかいらないか吟味することはもちろん、精神的な部分でも考えることがあります。
ひとつ大事なこととして、「見栄を捨てること」が挙げられます。
その頑張って守ろうとしている見栄は、本当にいるのか?なくても大丈夫なのではないか?
それを常に考えるようにしています。
たとえばわたしの場合、こんな見栄はいらないと思っています。
- 高級な貴金属・服飾を身に着ける
- 高級車に乗る
- 大きな家に住む
それらがなくても、わたしの場合特に生活に影響はありません。
ないことでそれらを買うコストも時間も抑えられるからむしろ楽、のような発想です。
身なりは全身ユニクロですが、最低限清潔感を出し、人に不快感を与えない程度ではあればそれでよし、と思っています。
その点、妻の理解があるということもとても大きいです。やはり妻は偉大だ。。。(笑)
もともと彼女も見栄を張るようなタイプではないので、自然な流れでした。
個人的に嬉しいのは、妻もだんだんミニマリスト的な考えをすすんで取り入れるようになってきたということ。
夫婦で同じ方向を見ることできるのは、最高に恵まれている環境だと思います。
わたしを尊重してくれる人に対しては、最大の尊重でお返ししよう。
そう思うと、誰かわからない他人に対しての見栄やコンプレックスに悩むことも、なくなりました。
そうそう、昔からのコンプレックスの天然パーマは、まるっと丸坊主にすることで解消しました。
寝ぐせもセットも考えなくて良いので、らくちん、快適。
ミニマリストとしても吹っ切れた感はあります。
これも妻のお許しがあるからできたことなんですよね。。
実ははじめに丸坊主にしたときは、目を丸くされましたけど(笑)
しかし、妻も妻で自分の好きな髪型にして、それで心の平穏を保っているので、結果的に良かったと思っています。
そして妻にはただならぬ感謝の気持ちを伝えるため、毎日ハグしています。
それをいつまで付き合ってもらえるか、ドキドキしながら(笑)