「清貧」という言葉が好きです。
「清貧」とは、ぜいたくをせず慎ましやかに暮らしていること。質素倹約な生活をしていること。
数年前にミニマリスト気質になってから、常にアタマの隅にあるこの二文字。そのおかげで、日ごろ散財に走ることなく、抑制されているような気がします。
ミニマリストになる前の私ったら、また極端な話で、それこそ散財の鬼。後先考えずに、手元にあるお金は、あればあるだけ使っていました。
今思えば、何に使っていたのだろう?
・たいして行きたくもない付き合いの飲み会
・身の丈に合わない資格試験の学習教材
・ランチの後のコンビニコーヒー
・適当に選んだ楽器
・ほとんど使うことのないスマホアプリのサブスク
・背中に天使の羽が描かれたジャケット(学生の頃)
などなど
もちろん、それらすべてが無駄とは言えませんし、その時はそれで満足していたかもしれませんし、実際本人は「散財」なんて微塵も思っていませんでした。
ですが、やがて結婚して子どもが生まれて、しだいにミニマリスト気質になってきた私。モノをひとつひとつ吟味する中で、お金の使い方もしだいに慎重に考えるようになりました。
今の私の身体がまとう、「清貧バリア」。何かモノを買おう、手に入れようとする際にそのバリアが自動的に発動し、それが本当に必要かどうか選別してくれるのです。
・たいして行きたくもない付き合いの飲み会
→かどのたたないようにお断りしよう
・身の丈に合わない資格試験の学習教材
→成功のハードルを低くして安価なものから手を付けよう
・ランチの後のコンビニコーヒー
→1杯120円×30日=3,600円?やめよう
・適当に選んだ楽器
→いま手元にある楽器を心から愛でよう
・ほとんど使うことのないスマホアプリのサブスク
→いったん解約して本当に必要であれば再開しよう
・背中に天使の羽が描かれたジャケット(学生の頃)
→いまの自分に合った服を選ぼう
もちろん、お金を使う時は使います。特に趣味のマラソンや習い事のカテゴリー、その他家族や近い友人に関する出費は惜しみません。逆にそれ以外のことについては意識的に制限しています。
大枠でそのような思考でいると、あら不思議。自然とお金が残る、貯まる。アタマの中にある「清貧」の二文字が行動を抑えてくれるので、最近は後悔するようなお金の失敗はしなくなりました。
そういえば、私の心の大会「さくら道国際ネイチャーラン」の「趣旨」の文章中にもこの言葉が出てきますね。
あえて私は自主的に「清貧」の看板をかかげます。「私は清貧に生きる」。声に出して公言したら、むしろ心地よく、身が引き締まります。
ですので、もし私が「清貧」ぽくない行動をしていたら、どうぞネタにしてくださいね。きっとそれも自分としては信念にのっとってやっていることなので。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃🎵
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