※今の今まですっかりその存在を忘れてしまっていた、「能登半島すずウルトラマラソン」。2019年の第8回をもって終了とされた、私にとって最初にして最後の「すずウルトラ」の完走記を備忘録として残しておきます。(以下、ブログ管理人・2019年10月21日のFacebookの投稿より転載)
第8回 能登半島すずウルトラマラソン100キロの部 、走ってきました!
まずは大会運営に関わるボランティアスタッフのみなさんに御礼申し上げます長時間に渡りありがとうございました!
10月19日(土)
午前中は家族と過ごし、14:30金沢からマイカーで珠洲に向かいました。
17:15ラポルト珠洲到着。受付で寺本さん・尾山さんから激励を受けました。翌日の天気は問題なさそうで、言い訳のできないレースになりそうとのこと。
そこから近くの民宿に移動。相部屋とは聞いていましたが、7人で雑魚寝でした。大阪・千葉・福井・東京、みなさん遠方から遥々能登半島の先っぽまでお疲れ様でした。中には、珠洲のトライアスロンがきっかけでこの町のことを好きになったとおっしゃる方もいました。
晩ご飯はお刺身や焼き魚、海の幸満載でとても美味しかったです。みなさんやはり食べる食べる。
お腹もいっぱいになったところで、19:00過ぎには順次寝床に就きました。私はなかなか眠れず、布団の中でもぞもぞしていました。
10月20日(日)
午前2:45起床。朝食は3:00に用意されていました。さすが、みなさん寝起きでも出されたものはちゃんと食べる。ウルトラマラソンランナーって、やはりどんな時でも食べられる強さがポイントだと思いました。
駐車場からシャトルバスで珠洲市健民体育館へ移動。受付で尾山さんとバニーさんに声をかけていただき、今回はスイーパー役の姫さんからも激励をいただきました。最後に混んだトイレを済ませてなんとかスタート10分前に準備完了。ここまで体調も問題なく、気力も十分なので、練習量以外、スタートまでの仕上がりは個人的に100点だったと思います。
そして午前5:00スタート。真っ暗闇の中、手元のライトの光だけを頼りに走ります。念のためにかなり明るいハンディライトを用意してよかったです。足元が危ない。参加人数も先月の白山白川郷と比べて少ないので、スタートして混雑することはありませんでした。
またまた調子にのってか、始めからキロ4分半で飛ばす私。これがきっと後半のガス欠につながるのでしょう。
まだ暗い中、見附島到着、ライトと反射タスキを返却しました。割と早い段階でみなさんばらけるので、10km以降からもう一人旅でした。
この先、奥能登の山の中を進んでいきます。白々と夜が明け、森林浴が心地よいコース。全体的にアップダウンが多く、前半からなかなか平坦な道はありません。山の中での私の脳内プレイリストは以下の通り。
①兵、走る/ B’z
②シミ/マキシマム ザ ホルモン(兵、〜とリフが似てる?)
③合唱曲 フェニックス/中学校の頃音楽の時間に歌ったの。山中の朝もやを見て「朝もや分けて〜」を思い出す
④もりのくまさん(ある貧血〜ver.)/奥能登の山の中を一人で走る心細さよ
ひたすら静かな道が続きます。山中からようやくふもとに下りてきて、小鳥のさえずりだったり、金木犀の香りだったり、軒下にぶら下がっている柿だったり、田園風景に心洗われます。
ずっと一人旅なので、何を考えて走ろうか、日々の行いを反省しようか、あれこれ思い出すと気が滅入るのでやめました。とりあえずレース中は諸々の失敗や後悔は置いておいて、終わったら考えます。
40キロを過ぎて日本海が開け、海沿いを千枚田に向かって走ります。この時点で100キロの部で4位だったのですが、ここから簡単に行くわけもなく、海岸沿いでどんどん抜かれます。やはりウルトラで50キロ以降の踏ん張りができる方は練習量や熱量が半端ないです。その分、私は練習量が他の方のおそらく半分以下なので、次回以降の課題として受け止めます。日々の生活の中でどうやって時間を捻出するかです。
しばらく海を眺めながら淡々と歩を進めます。この間は他の二名の方と抜きつ抜かれつつ、やはり若い方はスピードがある!
コース全体を通して沿道にはほとんど人がいないので、文字通り一人旅という感覚で、良い意味で自分のランに集中できる大会です。登り下りで腕を使う、力を抜くなど都度考えて切り替えて走りました。
トンネルをいくつかくぐり、アップダウンを堪えて、73キロエイドで尾山さんにまたお声かけいただきました。この先にさらに難所があると。本当にこのコース、後半のアップダウンが酷過ぎて、コースだけで考えると、先日の白山白川郷よりはるかにきついです。涼しさがあるぶん走りやすいのですが、この超絶サディスティックな果てしない道、誰が考えたんですか?笑
この先のラケット道路は確かにそれほど問題ではありませんでしたが、その後の激坂地獄、山登りに閉口。登り切ったエイドで、後から来られた今回含め8回参戦の方のお話を聞きました。とんでもないコースですねと。
さらに、80キロにかかる禄剛崎灯台への遊歩道はもはや走れる勾配ではないため、今回ここだけ歩きました。公式でも歩いてくださいと案内がありました。観光客の方を見かけたのはここだけでした。
そして残り数キロでもこれでもかとアップダウンを盛り込んでくる変態さ。ここまで来たら、多少の坂は少し道が斜めなんだなくらいの気持ちで乗り切ります。
100キロコースといいつつ、実際は102キロなので、残りの2キロが地味に長いです。
そんなこんなで、市街地に戻り、なんとかサブテンでゴールできました。
後から徐々に戻って来られるランナーさんたちと声を掛け合います。みなさんそれぞれにいろんな想いで走った102キロはなかなか感慨深いものがあるのではないでしょうか。ゴール後に心からお互い称え合うのもウルトラの醍醐味だと思います。
宿も同じだった大阪からお越しのランナーさんと近くの銭湯で汗を流しました。生き返ります。。。
その後、ゆっくりマイカーで金沢まで戻り、19:00帰宅。二日間時間をくれた家族にも感謝。
前回の白山白川郷と今回の結果をもとに、来年のさくら道国際ネイチャーランのエントリーをしてみようと思います。名古屋から金沢まで250キロ、今回の2.5倍の距離を走るという、私の中ではまだまだ未知の世界です。昨年のさくら道トップランナーのゴールを目撃してしまった時から、自分も走ることを決めたので、なんとか実現します。
次は来週の金沢マラソン、まずはリカバリーに徹し、ここまで一緒に練習してきた5人の学生のみなさんと楽しく走れたら良いなと思います。
ありがとうございました。
(ブログ管理人・2019年10月21日のFacebookの投稿より転載)
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って、この102kmの翌週に金沢マラソンを走ったんだっけ!?
えーっ、そんな無茶なことする!!
我ながら、当時は(も?)何も考えず、勢いだけで突っ走っていたのだと、あきれます…。
その後、上記のように「白山白川郷ウルトラマラソン」と「能登半島すずウルトラマラソン」の結果をもって、「さくら道国際ネイチャーラン」のエントリーをし、運よく2020年大会の切符をつかんだ…ものの、そこから数年、コロナ禍で大会は中止されることに。
ですが、あきらめが悪い私。
ご縁あって2023年大会の選考で再びランナーに選ばれ、「さくら道」を完走することができたというわけです。
自身のウルトラランナー初期の頃の大会として思い出すは、目の前に広がる奥能登・珠洲の荒波。
「すずウルトラ」は笑ってしまうくらいの難コースでしたが、この大会を歯を食いしばって走ったことが今につながっていると思えば、良い思い出と言えます。
2019年で終了となったこの大会、実はコアなファンが多いことでも有名。
やがていつか復活する時はくるのでしょうか…?
さて、そんなところで気になるのは、来年の「さくら道」。
そろそろ要項が公開される頃でしょうか。
どきどきしながら、待っています。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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