いつも楽しく過ごしていても、たまに妻とかみ合わなくなる時が我が家でもあります。
そんなことがあっても、たいていはどうでも良すぎることが原因なので、記録・記憶にもとどめないのですが、これはちょっと残しておきたい。
ある朝。
いつものようにキッチンに立ち朝食を用意してくれる妻。
ほとんど毎日同じメニューなのは別にぜんぜん良いのですが、うすうす気になっていたことがありました。
それは、「ゆで卵が出てくるタイミングが遅い」ということ。
他のものは先に出てきて、私と息子くんは食べ始めます。
ところが、なぜかゆで卵はその食事の終盤に提供されるので、時にはけっこう熱いこともあり、殻をむくのに「むむっ」と思っていたのです。
なぜいつも「ゆで卵が出てくるタイミングが遅い」??
別に悪気があってそのタイミングなのはわかるのですが、毎日同じように出されるので、とうとう私は口を出してしまったのです。
ゆで卵、できれば一番はじめに茹でれば良いんじゃないかな?
すると、日々のルーティンを指摘されて妻はおもしろくありません。
はじめにやっているよ。それって、起きてトイレ行かずにその前にしてってこと?
あわわわ、そんなつもりじゃないんだけど。。
私はただ、「ゆで卵が他の品といっしょに出てきたらうれしいなぁ」と思っていたんだけど。。
気分を悪くした妻との問答。
ああ、こんなことなら言わなけりゃよかった。
朝から何しているんだろう。
私たちの間にはさまる息子くんも、ちょっと面倒くさそう。
むむむむ。。。
すると沈黙の後、妻がひとこと。
別に、ゆで卵が出て来るタイミングが遅いからって、私も〇〇(息子)くんもたてちんも、学校や仕事に遅刻しないじゃない。
それを聞いた瞬間、私の中で何かがはじけて、思わず笑ってしまいました。
本当だ、たかがそんなことで、予定が変わるわけでもないしなんの影響もないんだし。
と同時に、私の鼻から鼻水がぴゅっと出て、それを見た妻と息子くんが爆笑。
からの、私も爆笑。
みんなでげらげら笑ったのでした(^○^)
ほんと、たかが「ゆで卵が出てくるタイミング」が自分の思っていたのをちょっと違うくらいで、何の実害もないのに。
気を緩めれば、ついつい人のやることなすこと、横から口をだしてしまう私たち。
笑い終わった後に、妻と二人で「あの本を読み直そうと思う」と意見は一致。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
他者の課題には踏み込まない、アドラー心理学の代名詞ともいえる「課題の分離」を思い出したのです。
朝ごはんを用意する、ゆで卵を用意するのは妻の課題。
そこを忘れないようにしないと、話がややこしくなるのです。
しかも、それらは妻の朝のルーティンであって、私に手伝ってほしくない・触ってほしくない部分。
私はそこにズカズカと踏み込んだわけです。
今回の「ゆで卵事件(?)」、本件を「課題の分離」として、冷たく全く関与しません、というスタンスではなく、「もし負担に感じるようになったら、手伝うので言ってね」と妻に伝えたところで完結しました。
これで一件落着、かな?(^-^;
その他、人対人、相手についつい口を出してしまいたくなる時ありますよね。
数々の「言わなけりゃよかった」を繰り返しつつも、何度でも基本に立ち返り、「課題の分離」を身体に馴染ませていきたい。
そうそう、あの時かみ合わなかった理由を、数十年後にまた思い出したなら、また二人で爆笑できるかなって。
「ゆで卵が出てくるタイミングで、あーだこーだ言ってたよね!?」って。
考えただけでも笑えます。
あぁ、こうやって生きている今が、とても愛おしい。
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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