社会人として、大人として、男として、父親として、夫として、甘いと言われても仕方ありませんが。
私は、誰かと戦いたくないし、これからも戦うつもりはありません。
人と自分を比べて、競ったり、争ったり、攻撃したり、嫉妬したり。
きっと、そんなこと(あえて、そんなこと、と言いますが)で疲弊するのが面倒くさい、のかもしれません。
自分でもあきれるほどの、面倒くさがりな性分の、極み。
ですが、自分で意識的に「戦わないこと」を選んできた結果、今の満たされた生活にたどり着いたのであれば、あながち間違った生き方ではなかったのだとも思います。
血管が浮き出るほど怒ったり、人を罵倒したり、誰に対してかわからない見栄を張ったり、そんなことでエネルギーを消費しなくとも、まっとうに生きられるし、人生は前にすすんでゆく。
それを実感できるようになったのは、30代半ば頃からでしょうか。
それまでは、かなり感情的な人間で、毎日心がぐらぐら揺れていました。
結婚して、息子くんが生まれて、「家族」の単位を意識するようになり、しだいに「やらなくても良いこと」が見えてきたとき、「そんなにむきになって戦わなくても、良いんだ」と思えるようになりました。
だからこそ惹かれるのが、自由に走る運動であるランニング。
ランニングには様々な切り口があります。
誰かと勝負しようと思う人もいます。「あの人に勝ちたい」「〇位になりたい」という目標もあるでしょう。
それももちろん、素晴らしいモチベーションです。
ですが、基本的に、ランニングは自分自身との闘い。誰と戦う必要も、ありません。
なんなら、自分とも戦う必要がなく、自分の気持ちに寄り添って、ほどよく気持ちよく身体を動かして、もうそれで良し、としても良いわけです。
ランニングの切り口は、人それぞれ。
私もプロフィールにあるように、「趣味は?」と聞かれたら、「ランニングです」と答えます。
自分でも不思議に思ったんです。
とっさに出てくるのが、「ランニング」であり、「マラソン」ではないという。
なんとなく走っているのが、単純に心地よくて、片道2.3kmの通勤ランでもじゅうぶんで、たまに長い距離を走りたくなる、それがマラソンだったりするわけで。
もしかすると私自身、マラソンに対する執着は、言うほどないのかもしれません。
とはいえ、マラソンを軽視するわけではないので誤解なきよう(^-^;
きっと、誰とも戦わない自由な時間が気持ち良いから、いつもぶらぶら走っているのかなと思うのです。
なるほど。
もし、この勝ち負けのない、「戦わない」感覚を研ぎ澄ませていくと、最終的にはどこにたどり着くのでしょう?
ランニングと同じようなベクトルでいくと、トレイル?登山?
はたまた、全然ちがうカテゴリー?
それはまだわかりませんが、この身体の自由がきくかぎり、こつこつとランニングを継続していくということだけは、なんとなく予想できます。
だって走るの、気持ち良いですもんね。
最期に、あえて宣言します。
私は誰とも戦わないし、今後も戦いたくない。
だから走っているのだと。
みなさん、また仲良くしてくださいm(__)m
あ、こんな内容書いていますが、別に誰かとケンカしたわけではないので、ご心配なく(笑)
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫
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